ベロニカ”オックスフォードブルー”開花
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庭つくり2009 | 19:07:17 | Trackback(-) | Comments(0)
新月
「タネまきは満月、移植は新月」
ということで、新月の今日
ベロニカ”オックスフォードブルー”の移植を行った
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元の株をいただいてからもう5年になるだろうか
あちこちの庭で増えた苗を一部掘って、今回ここへ連れてきた
ここで5株のベロニカに鮮やかなブルーの小花が咲くときれいだろうなあ・・・
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この蕾が一番花
明日咲く予定で楽しみ♪

庭つくり2009 | 23:06:08 | Trackback(-) | Comments(0)
ベーサルシュート
11月13日の日記
テッポウムシが入っていたことが確認されたニュードーンは
太い枝を根元近くで切り落とされたが
今朝、その株元から勢いのいいベーサルシュートが出ているのを見つけた
よしよし、これで枝の更新ができるぞ~♪
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バラ2009 | 11:20:56 | Trackback(-) | Comments(0)
バラの施肥開始
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バラの新芽が
どんどん伸びだしている今日この頃
明日からしばらく雨が続くらしいので
少しだけ固形肥料を置いてみることにした

肥料の内容は
10-10-10の化成肥料とヨウリンを
EM菌とワイン酵母発酵液で漬け込んだもので
施肥量は
10号鉢でティースプーン1杯程度とし
鉢の大きさによって加減した

今年も昨年に引き続き
この即席化成発酵肥料を使用するが
施肥量はぐっと控えめにすることにしている



昨年は
通常の化成肥料と同じくらいの量を使ったら
新芽は縮れるわ、枝は徒長するわ、花形は乱れるわと
明らかに肥料過多の症状が出た

とにかくこの肥料は明らかに”化けている”ので
使用量は慎重に・・・が今年の課題

クレマチス”ロウグチ”の新芽も伸びだした
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バラ2009 | 22:14:23 | Trackback(-) | Comments(2)
パープルシェード開花
小さな苗を2本いただいてから4年
この株にもはじめて花が咲いた♪
花が真下を向いているため、中の様子を撮ろうにも
さすがに夫がどんなに地面にはいつくばっても直接の撮影は無理だ
というわけで、下に鏡を置いて撮影したのが右写真
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昨年から咲き始めたこちらの株は
いつの間にか花が虫食いになっていた、、TT
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*******

<今日の出来事>
今朝、すぐ近くにある郵便局にパトカー(5台)が続々やってきた@@;
空ではヘリコプターが飛び、これはきっと事件に違いない!ということで
2階の窓から写真を撮る
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で、何があったのかとても気になりつつも
わざわざ聞きに行く勇気もないので
騒ぎの原因は現時点ではまだ不明だ
このご時勢だから、もしかすると抜き打ちの訓練だったりして?!

<追記>
翌日になっても、特に新聞に何か載っているわけでもなく
騒ぎの原因はわからずじまい、、、
まあ、大した事じゃなかったのならそれが一番いいのだけどね^^;

庭つくり2009 | 15:16:23 | Trackback(-) | Comments(2)
大掃除中
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先週までの異常な暖かさは一気に吹き飛んで
今日は朝から雪~みぞれが降っている
やっと咲いたマーガレットも
出てきたばかりのアジサイの新芽も
そしてわたしも、寒さで縮み上がりそう~~~@@;
で、そんな中、わたしはなぜか大掃除中なのだ

なんで今ごろ?という感じだが
そもそも、夫が自分の部屋の片付けをするといって
かなり大掛かりな掃除をはじめたことに触発されたもので
日曜日の午後から作業を開始し、倉庫や押入れを整理
今日は不用品を市の清掃センターに搬入して一段落した

「平成の大合併」で、この町も隣の市と合併したが
そうなってから一番不便になったのはゴミ出しだろう
分別内容が複雑な上
30センチを越えるものはすべて大型ゴミ扱いで
200円の手数料シールを購入して貼らなくてはならない
そして、1メートルを越えたらもう一枚追加
更に、2メートルを越えたらもう一枚追加(つまり全3枚600円分)
これ以上大きくなっても料金の追加はないという点は
例えば大きなタンスを出しても600円ですむのはいいけれど
30センチを越えるお菓子の缶を出すために200円いるというのはやっかいだ
ただし、缶はたたきつぶして30センチ未満にすれば無料で出せる
また、傘1本出すのも200円だが
傘以外でも同じような形状のものとまとめて束にして出しても200円でいい
このように工夫すればある程度は安く済ませられるものの
それでも、数年の間にたまったもの
あるいはずっと捨てずにおいたものを一度に処分するとなると
結構シール代がかかってしまった
ただ、今後はゴミの処分費用もますます高くなる可能性があるので
今のうちにできるだけ整理して
スリムに暮らしていきたいものだと思う

わたしは元々模様替え大好き人間で
昔は夫から「またタンスを移動させてるのか?!」とよくあきれられたものだ
だから、基本的に大掃除は嫌いじゃない
でも、模様替えを気軽にやっていられたのは30代までで
40を過ぎた頃から重い物が持ちにくくなり
あちこちぶつけて傷をつけることも多くなったため
近年は大物を移動させるのはもっぱら息子の役目
今回突然大掃除を始めたのも
今なら息子が春休みでヒマだから使えるぞ~という目論見もあったからだ

3月になったら、庭仕事を再開する予定なので
今のうちにもう少し掃除を進めておきたい
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日々の暮らし | 20:40:41 | Trackback(-) | Comments(0)
ハーデンベルギア
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Hardenbergia violasea
和名:小町藤
マメ科
常緑蔓性低木(半耐寒性)

園芸店で見たこの花に一目ぼれしたのは
確か2002年の春だった
でも、「半耐寒性」というのがくせもので
3年後には冬越しできず枯れてしまい
それ以来、ただお店で眺めるだけになっていた

それがこのたび
いつも切花を買う花屋さんに小さな苗があって
小さいだけにお手頃価格だったため
紫と白の2種類とも購入した

以前育てた経験では
一年で随分ツルが伸びるから
初めから大きな苗を買わなくてもいい


園芸店には
いつもたくさんの花が売られているというのに
結局選ぶ花の傾向は決まっている
好きな花だから
枯らした時には「もうやめておこう」と思いつつ
そのうちまた「もう一度だけ」と願ってしまう

そんな魅惑のハーデンベルギア
できれば地植えでのびのび育ててやりたいなあ・・

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庭つくり2008 | 19:19:33 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 8~終楽章 Coda
このたび娘が作った曲を元に
息子が伴奏を一部アレンジしながらMIDIを作成したので
「ぶどうの樹」トップページに貼ってみた
(MIDI作成ソフトはStudio ftn Score Editor(窓の杜)を使用)

曲名は『マンゴスチンの踊り』


ギターとハープの音を使ったパソコンによる自動演奏で
素朴な雰囲気に仕上がったが
疑問なのは、なんでマンゴスチンなの??ということだ
いや、娘によれば深い意味はなくて
"果物の女王"と呼ばれるマンゴスチンの名前が頭に浮かんだから
という単純なものらしい
でも、そんな娘自身も見たことがない貴重な果物が踊るというイメージを
当人は結構気に入っているようだ

音楽にはしばしばそういう”なんで?”という意外性があって
聴く側の興味と想像力を刺激する
そして、それらは”なんとなく”、つまり自然に浮かんだもので
作る側の心が表れているところから
曲には、その人なりの”カラー”や”におい”がある

娘によれば、この曲には歌詞があるのだそうだ
でも、それは今の段階ではイメージだけで
本当に歌詞をつけるなら英語にしたいとの願いがあることから
どうやら簡単には実現に至りそうもない

娘は常にイメージが先行し、ひらめきと勘で音楽にアプローチするタイプで
この辺が、音楽の中にも数式のような理論的な美を求める息子とは対照的だ
声楽の世界では、何しろ自分自身が楽器なのだから
ひときわ感性の問題が重視され、イメージトレーニングが重要となる
だから、とことん練習して自己を追い込んでいくようなことはなく
おおらかに、のんびりとやっていける点が娘には合っているようだ

一方の息子は
オーケストラを仕切る指揮者の視点で音楽を聴きながら
常に色んな楽器に注目し、自らも積極的に演奏しようとする
わたしにとっては最も苦手な楽器であった木琴も息子は幼い頃から得意だし
中学校の吹奏楽部時代にも、ほとんどの楽器は最初から音が出せたが
その中で唯一音が出なかったのがフルートだったらしい
そして、普段さほど楽器演奏には積極的でない娘が
夫のフルートを借りてすぐに音を出したのは面白かった
ちなみに娘は、息子が好きじゃないというギターを弾くのも好き
別に対抗しているわけでもなんでもなくて
なんだかことごとく違う二人なのだった

そう、考えてみると
うちの家族の音楽へのアプローチ方法はみんな全然違っている
でも、どこかでつながっていて
それは音楽だけではなく、他のことにも共通しているようだ
普段やってることはみんなバラバラなのに
いざ一緒に何かやる時には一致する
これはちょうど、オーケストラにおいて
普段は個人個人が自分の楽器をこだわりをもって練習していても
合同になると指揮者の下でハーモニーを奏でようとするのに似ている
違ったものを持つ者同士だからこそ、それぞれに必要な役割があり
時に応じて自己主張し、あるいは譲り、また助け合う
音楽によって調和の心地良さを知っていることが
人生の中にも調和の必要性を感じる機会になるのかもしれない

ある音楽大学のサイトに
チェコを代表するチェリストで
プラハ音楽院教授でもあるヴァルダン・コチー氏の
<音楽は神様からの贈り物>という言葉が紹介されている
共産主義政権下の強制収用所時代
その苦境の中で彼に生きる希望と勇気を与えたのは音楽だった

音楽は、時代を越え、国を越えて
人々に喜びと楽しみを、そして希望と勇気を与え
怒りを沈め、悲しみを昇華させる役割を担ってきた
音楽を求める気持ちは祈りにも似ている
人は目に見えるものに心奪われることが多いものだが
そんな中で、目に見えない音楽の中に何かを求める人々の思いは
昔も今も変らない

”幸せの青い鳥”が実は最も身近なところに居たように
本当の幸いを知るきっかけは
<神様からの贈り物>として、色んな形で近くにあるのだろう
その贈り物のひとつに出会えたことは幸いだったと思うし
それを子ども達に伝えることができて良かった
これから彼らがどのように音楽に向き合い
そこで何を見つけ、どのように次の世代に伝えていくのかを
共に楽しみながら、見守っていきたいと願っている

                               (完)

日々の暮らし | 23:35:34 | Trackback(-) | Comments(4)
パープルシェード
2株のクリスマスローズ”パープルシェード”がもうすぐ開花
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マーガレットもやっと咲き始めた
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アグロステンマもすくすくと
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こぼれ種からのニゲラも勢いづいてきた
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いよいよこれから、お庭に出たくてそわそわするシーズンになる^^

庭つくり2008 | 20:52:28 | Trackback(-) | Comments(0)
菌根菌入り発酵肥料を作る 1
mycorrhizastart.jpg昨年秋
『ミコリーザスタート』という
”菌根菌入りの微生物肥料”を頂いたので
年が明けたらこれで新しい肥料を作ろうと思っていた

”菌根菌”とは
植物の根の周りに共生する菌で
植物が直接吸収できない養分を分解して与えるなど
非常に有益な働きをしているといわれる

この『ミコリーザスタート』には
6種類の土壌有用菌と
18種類の菌根菌が入っていて
これを施すことで
根を健やかに育てる環境を整え
植物の生育を助けようというものだ

で、本来の使用方法は
土に直接『ミコリーザスタート』を混ぜて使うわけだが
そういう使用方法ではあっという間になくなってしまうので
ここはもっと菌を増やして最大限に有効利用したい
そこで、久しぶりに発酵肥料作りのスタートだ

今回使う材料は、台所に残っていた使いかけ食材で
賞味期限のかなり過ぎた、きな粉に玄米、押し麦、そしてクズ大豆だ
①玄米と押し麦は固めに炊き、大豆は柔らかくゆでてざっとつぶす
②きな粉にワイン酵母発酵液とヨーグルトと砂糖を加えよくかき混ぜる
①を人肌程度に冷まし、②と混ぜて新聞を敷いたダンボール箱に移し
『ミコリーザスタートをパラパラふりかけて軽く混ぜる

材料は残り物を使ったので、総量1.5キロほどと少なめだが
できたものは元種として、液肥の素にしたり、更に拡大発酵させて使う予定なので
とりあえずはこの程度でいいかなと思っている

ただし、問題なのは
一体こんなやり方で菌根菌が増殖するのだろうかという疑問だ
この辺がいつもあいまいで困ったものだが
まあとにかくここは遊び心でやってみるしかないでしょう~^^
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土と微生物 | 13:54:27 | Trackback(-) | Comments(8)
音楽語り 7~歌曲 Canto
息子と2歳半違い(学年は3年違い)で生まれた娘は
息子と同じく、早い時期からしゃべり始め、歌うことも好きだった
何でも兄のマネをして、兄を追いかけるようにピアノも練習したが
娘自身は結局ピアノに夢中にはなれず
4年生で声楽を習うようになってから間もなくピアノのレッスンは中止した

息子に、教会での伴奏者を務めたいとの希望があったように
娘も幼い頃からそう願っていて
実際にある程度弾けるようにはなったものの、どうしても壁が越えられないのは
そこにピアノに対する熱意が欠けているのだと
4年生の時に判断したのは本人だった
それは、決して卑屈な意味ではなくて
本当に好きなことを見つけたからに他ならない
そのくらい娘にとって歌うことは気持ちよく、相性がよかったのだろう

ところで、なぜ4年生から声楽を習うようになったかというと
これはわたしの昔からの希望と共に
その頃ちょうど先生との出会いがあったからだ
前にも書いたように、わたしは大学生の時から教会での結婚式の独唱者を務めていた
若い頃は声もわりとよく出ていたし
当事者にとっては生涯一度の大切な式典に水をさすことがないように
精一杯頑張って歌ってきたが
30代半ばになった頃から、声量と技量の不足に不安を覚えるようになったため
声楽の基礎レッスンをほんの数ヶ月だが習いに行ったことがある
でも、その頃すでに声帯の筋肉は衰え始めていて
息づかいの方法を工夫することである程度歌いやすくはなったが
声量そのものは復活しなかった
そこで、当時娘はまだ保育園に通っている年齢だったが
その時の先生に、もし娘が声楽のレッスンを受けるとしたら何歳からが適期かとたずねると
「小学4年生くらいからがいいでしょう」と言われたため
その年齢になったらぜひ娘に基礎からきちんとレッスンを受けさせたいと思ったのだ

親が子どもに対して描く夢や希望には
それが子どもにとって向いていないものがしばしばある
例えば、わたしは息子がギターを弾いたらいいと思っていたが
バイオリンは好きなのに、同じ弦楽器でもギターは好きじゃないらしい
またピアノも、わたしはホンキートンク調のジャズピアノが好きなので
息子もそういうのを弾かないかなあと期待していたら
「ジャズピアノは趣味じゃない」とばっさり切り捨てられてしまった
そして今、自分の好きな曲を好きなように弾き
また、自ら希望した伴奏者の務めはちゃんと果すようになった
人間てそんなにあれこれできるわけではないから
わたしもこうして本人が自然に選んでいくのが一番いいと思っていたし
もし娘が声楽を習うことが本当の希望ではないなら
それはそれでいいと思っていた
だが、その機会は先生との出会いによって訪れ
しかもその時期がちょうど4年生になる前だったというわけだ
この偶然は本当に不思議に思えた
そして、娘はわたしが期待した以上にそこでしっかり歌の魅力にはまり
少しずつ、無理なく、また歌うことを楽しみながら成長していった

それからは、娘がだんだん上達するのに反比例して
わたしの声量はどんどん落ち
最近は本当に自分でも嫌になるほど声が出ない上
無理に出そうとすると声が震えるので困ったものだ
これはきちんと声帯を鍛えてこなかったせいもあるし
発声方法についても
娘が習っている「頭声(声を頭に響かせる発声)」だったら
こうして年を重ね、体格が衰えても
もっと声が通り、安定して歌えたのだろう
何にしても、もう後継者ができたからいいか・・とあきらめムードなのも
ますます歌えなくなる原因かもしれないが(苦笑)

というわけで、今のわたしは娘の歌をサポートする係りだ
そのためにドレスも作るし、精神的な面も心を配りながら
そういう活動を通してわたしも一緒に楽しんでいきたい

昔、はじめて音大生の無料コンサートに行った時
目の前で見た紫のドレスを着たチェロを弾くお姉さんに憧れた娘は
その頃はきっと手の届かない遠い世界だと思っていた夢に
少しずつ近づきつつある

                                   (つづく)

日々の暮らし | 22:01:21 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 6~輪唱曲 Kanon
息子のしゃべりはじめは1歳半ごろだったと記憶しているが
同時に歌もどんどん歌うようになり
1歳10ヶ月のある日、突然聞いたことのない歌を歌いだした

 「え~んと~ちゅわぁ~、あ~ちゅいえ~(訳:煙突は熱いよ)」

節は、ソーソーソソー、ソーラーソレー(最後のレは低い方の音)・・といった感じで
これ、息子の人生初の自作曲
もちろん本人にその記憶は全くないが
車に乗って、大きな煙突がある建物の前を通った時に歌ったものだ
そして、別の機会にわたしの母の車に乗っている時にも
同じ場所で『えんとつの歌』を歌い始めたらしい
当時、そんな息子の様子をただ面白いと思って見ていたけれど
その後、彼はわたしが想像していた以上に音楽好きに育って行く

幼い頃には、教会の賛美歌と、テレビから流れてくる音楽と、夫がかける音楽を聴きながら
自分が気に入った曲は「これはいい音~」とすぐに反応し
2歳の時に買ってもらったおもちゃのピアノで遊ぶのが大好きだった
やがて
いつか教会で伴奏する人になりたいとの願いと
テレビで聴いた『トルコ行進曲』が弾けるようになりたいとの思いから
自らエレクトーンを習いたいと言い出したのは6歳の時
わたしの過去の経験や、息子の自由を好む性格からして
到底習い事には向いていないだろうと思ったのだが
本人があまりに熱心に願うものだから
とりあえず近所の音楽教室に行かせることにした
初めのうちは喜んで通っていたものの、半年ほどで挫折
どうやら若い先生との相性がいまいちだったみたいで
これでもうあきらめるのかと思いきや
今度は娘が友だちから誘われて個人のピアノ教室に通うことになると
自分も一緒についていくと言い出す
そして、そこで出合ったわたしと同年代の女性の先生と意気投合し
結局ここで中学1年までお世話になるのだった

さて、わたしは大学時代によく『パッヘルベルのカノン』を聴いていて
この曲を生で聴くために
結婚する直前、母と一緒に、シュトゥットガルト室内管弦楽団のコンサートにも行った
結婚してからは、夫もこの曲の入ったCDを持っていたので
子ども達と一緒によく聴いたものだ

息子が小学校の高学年になった頃には
かつてわたしが親と一緒にコンサートへ連れて行ってもらったように
わたしの子ども達にもぜひ生の演奏を聴かせてやりたいと思うようになったが
残念ながら本格的なコンサートはチケット代が高くて行きにくい
そこで、音楽大学の学生が演奏する無料コンサートがあったので
それに連れて行くことにした
すると、最前列にすわった子ども達は予想以上に喜んで、カノンの演奏に真剣に聴き入り
ますますこの曲が好きになっていった

やがて中学生になった息子は
最後のピアノの発表会で、憧れのカノンを弾くことになる
すでに娘の方は小学一年生の時に特別簡単バージョンを発表会で弾いていたが
この時の息子はフルバージョンで演奏
練習中は、ラストの階段を駆け足で下るようなフレーズがどうしても上手く弾けなくて
発表会前日の時点でもまだ何度もひっかかっていた

通常、発表会前には特別レッスンがあって
そこで集中特訓をして本番に臨むのだが
この時、先生は息子の特別レッスンをしなかった
そして一言
「彼は自分で何とかするでしょう」
先生の言葉を聞いた時
ああ、この先生の信頼が息子をここまでレッスンに通わせたのだと感じ
良い先生にめぐり合えたことに感謝した

その後、当日の朝の息子の集中力はすごいもので
本番はミスなしで演奏することができたが
このように、ぎりぎりまでは適当にやっていて
最後のところで一気に集中してつじつま合わせる性格を
ちゃんと先生は理解し
また、息子も自分を理解してくれる先生を信頼していたのだった

中学生になって忙しくなり、ピアノレッスンに通うことを断念してからでも
『パッヘルベルのカノン』は息子にとって忘れがたい曲で
高校生になり、メタル系のハードなロックにもハマってからは
今度はハイスピードのカノンを弾き始めた
その頃からは、ストレス発散するかのごとく『トルコ行進曲』も高速で弾いていて
息子がピアノを弾き始めると
家族がみんななんだか追い立てられる気分になったものだ(笑)

『パッヘルベルのカノン』解説と試聴はこちら

                                         (つづく)

日々の暮らし | 23:32:35 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 5~夜想曲 Nocturne
1980年
大学生になったわたしが聴いていた音楽は
70年代の終わり頃から聴き始めたフュージョン(別名クロスオーバー)と
クラッシックが中心で
ロックからは距離を置くようになっていた
また、新しい環境では特に音楽を語る友人もなく
わたし自身もそういう必要性を感じてはいなかった

「フュージョン」とは、ジャズとロックを融合させた音楽で
ジャズ好きの人からは、商業的と批判され
ロック好きの人からは、技巧にこだわりすぎとされる傾向にもあったが
わたしはアル・ディ・メオラの弾く超絶早弾きギターに惚れ込んでいて
あの頃コンサートに行く予定だったのに、急遽行けなくなった事が非常に残念だった

1984年、大学卒業と同時に結婚してからは
しばらく自ら進んで音楽を聴くこともなくなったが
大学生の頃から、教会の結婚式の歌を担当するようになり
結婚後は、東京の神学校在籍時代にも
結婚式で2度ばかり先導者(新郎新婦に先立って歩く独唱担当者)を務めた
(この時はじめて式典用に黒のロングスカートを購入する)
こうして
昔のように色々な音楽を聴く機会は減っていったが
「歌う人である自分」は確実に戻ってきた

さて
夫と結婚すると決まった時には、お互いのことはほとんど知らなくて
これから一体どうなるのだろうかと思ったけれど
はじめて結婚準備のための買い物に一緒に出かけた際
夫がカーステレオでかけていた曲がクラッシックをジャズ調にアレンジしたもので
それがとても心地よく
ああ、こういう音楽が好きな人なんだなと、何だかホッとしたのを覚えている

夫が好きな曲はだいたいクラッシックが中心で
中でも、フルオーケストラの鳴らすダイナミックな交響曲よりも
モーツアルトの協奏曲に代表されるような、明るく穏やかなものが多い
そして、わたしが夫の趣味の中で一番気に入ったのはオルゴール音楽だった
オルゴールの持つ、優しくて不思議な音色は心の奥に響き
なじみの曲が別物のように聞える
それまで小さな箱のオルゴールしか知らなかったわたしは
楽器としてのオルゴールの音色にふれて非常に感激すると共に
夫がロマンチストであることを確信した

音楽の趣味を知ると、その人のイメージがだいたいわかる
そういう意味では、夫で見ればわたしは「コイツは危険!」かもしれない(笑)
いや、わたしは単に守備範囲が広い雑食系なだけで
穏やかで美しい音色は昔から大好きなのだ
何と言っても原点は唱歌と伝統歌(トラッド)なのだから

また、夫が歌が上手いことは礼拝で聞いて知っていたが
小学生の頃はボーイソプラノで、合唱団に入るよう勧められたことや
色んな楽器(トランペットやフルート等)にも親しむ人であることを知ると
ますます親近感がわいた
更には、その楽器を管理する時の几帳面さに驚き
楽器へのこだわりと深い愛着とを感じるうちに
夫はわたしよりもずっと音楽に近い人なのだろうと思うようになった

その後、子どもたちが生まれ
彼らも夫の好きな音楽を一緒に聴きながら、日常的に音楽に親しむ人に育っていくが
その趣味は、一部は親と共有しつつ、やがて各々個性を発揮するようになる

                                     (つづく)

日々の暮らし | 21:35:32 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 4~行進曲 March
わたしが高校生の頃は、もう70年代も終盤で
60年代終わり頃から一気に盛り上がっていた英米ロック界も
様々な試みが一段落し、ミュージシャンも年をとり
それまでの、ひたすら進め進め!状態から
何かこう燃え尽きた感じになっていたが
そんな頃、「産業ロック」という言葉が聞かれるようになった

「産業ロック」は、後に「商業ロック」とも言われるようになったが
要するに、表面的に耳に優しく、売れ筋をねらった、お金儲け主義の音楽作りを揶揄した言い方だ
元々ロックには思想を音楽で表現する使命のようなものがあり
反戦運動や社会体制への反発、権力や拝金主義への抵抗、揺れる人間心理などを
歌詞や、独特の音楽表現にのせてアピールするものだった
更に、既存の音楽スタイルを越えた新しい音楽を作り出すべく
実験的取り組みを行い、進化を繰り返し
常に転がり続けることがロックンロール
それが根底にあるからこそ、彼らはアーティスト~芸術家と呼ばれ
社会のどうしようもない矛盾やひずみの中に埋もれて生きる一般人の
代弁者として評価されてきたのだ
だから、彼らの音楽に対してお金を払う人は
そこで夢を買っているわけで
彼らにはどこまでも同じ精神を持ち続けて欲しいと切望している

しかし、ミュージシャンとて人の子
お金がなければ生きていけないし、音楽活動だってできない
お金のために音楽やってるんじゃないと思いたくても
それは所詮きれいごと
売れなくては前に進みようもないのだから
自分の信念を曲げて売れ筋をねらうこともありだ
また、初めからビジネスとわりきってやっている人や
その時、派手に楽しく生きてればいいというような刹那的な人も少なからずいる
それはそれで理解できるのだ
そう、理解はできるが、世間は簡単に許してはくれないのだろう
だから、今も「商業ロック」という言葉は生きていて
信念と現実の狭間で、相変わらずミュージシャンは戦っている

いや、そういう戦いはミュージシャンだけの問題ではなく
社会全般において、どんな職種でもあることだ
良い仕事をしたい、良い商品・良いサービスを提供したいという良心は
必ずしも利益に結びつくものではなく
目に見える利益を第一とすれば
目に見えない信用を失っていく
権力者に媚びればもっと良い立場になれるのかもしれないし
人をだましてでも自分がのし上がろうとする人もある
お金も欲しいし、人からちやほやもされたいしと
悩ましいのはその誘惑だ
でも、そのすれすれの一線を越えたくない
越えてはいけないのだと
常に光と影が交差する音楽界は発信してきた

1975年(昭和50年)、わたしが中学2年の時には
『”いちご白書”をもういちど』という荒井由実(現在は松任谷由実)の作った曲が
ラジオから毎日流れていた
「いちご白書」というベトナム戦争時代のアメリカ映画から
学生時代を懐かしく思い出す内容のこの歌は
これから現実社会に出て行く若者の複雑な心情が
こんな一節に表れている

 「就職が決まって 髪を切ってきた時
  もう若くないさと 君に言い訳したね」

今のように茶髪や長髪などタブーの時代
社会人になること=髪を切る
それはちょうど青春から足を洗うようなものだった

この歌詞について
ロック雑誌「ロッキングオン」には当時こんな論評があったことを覚えている

 「『いちご白書をもう一度』は間違っている
  髪は就職が決まる前に切るものだ」

ロック雑誌といっても、当時はまるで同好会雑誌のような
若手音楽評論家が好き勝手に音楽論を書いていたこの本が
今はすっかり出世して、町の図書館にまで置かれているのには驚いたが
上記の内容には、思わずそりゃあそうだよね~と、うなずいたものだ
だが、その後続く内容はもっと興味深く心に残った

 「髪を切り、背広を着て生きるのは苦しい
  だが、GパンとTシャツで生きるのはもっと苦しい」

当時は、こういった音楽評論家の文章も随分読んだが
音楽論は、すなわち人生論でもあった
「GパンとTシャツで生きる」とは
その格好だけの話ではなく、心意気の問題まで含まれている

どんなに時代が移り変わっても
自分を見失わずに生きていけたらいい
ミュージシャンの生き方は
まっすぐだったり、つまづいたり、脱線したり、戻ってきたり
良くも悪くもその見本になっていた

                                    (つづく)

日々の暮らし | 20:14:02 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 3~協奏曲 Concerto
中学時代のわたしは
新しい自由な音楽スタイルを追求する道へとのめりこんでいく一方で
学校の音楽の時間はいつも退屈で仕方がなかった
いや、退屈だけならまだしも
あんなに好きだったはずの歌でさえ、あることをきっかけに
歌う気持ちも失せていくことになる

それは、恒例の合唱祭に向けての学年練習の時のこと
指揮をしていた先生が
「その辺、地声で歌わないで!」とこちらを見ながら何度も言うのだ
そして、どうもその目はわたしに当てられているように見えた
おかしい・・・わたしはこれまでずっと裏声で歌ってきたのに・・・?
そう思っていたら、練習後、結局直接注意されるハメになってしまう
いや、それは絶対違うのだ
だってわたしは試しに自分の声をぐっと落としていた
それでも先生の耳には相変らずカンにさわるような声が聞えていたとすれば
それはわたしの声じゃない
でも、わたしは言い訳しなかった
根に持つくらいなら言い訳すればよかったのに
思春期の子どもというのは得てしてそんなものだ
そして、わたしは合唱に対する熱意を完全に失った

こうして、ピアノが苦手なわたしが
たったひとつ自信を持っていた歌もやる気をなくし
もうこれで音楽はただ聴くだけになっていくのだろうかと思った頃
それでもひとつだけ弾いてみたい楽器があった
ギターだ

哀愁漂うギターの音色は、日本人の感性にあっているというが
ギター協奏曲であるロドリーゴの『アランフェス協奏曲』は
今でもわたしの好きなクラッシック曲では5本の指に入ると思うし
当時流行っていた日本のフォークソングもギターが中心で
中でも、個人的にはチューリップの『心の旅』のような曲が好きだった
そして、もちろんロックにおいても
アコースティックからエレキまでさまざまなギターが活躍する曲に親しみ
自分の手でもこの楽器に触れてみたいと思うようになっていったわけだ

その後、親に頼んでフォークギターを買ってもらい独学で練習
(後にクラッシックギターにすればよかったと後悔したのだが・・)
最初に練習したのはやっぱり『グリーンスリーブス』
ちなみに、わたしはグリーンスリーブスという名のバラを持っているが
それは花姿だけではなく、名前にも惚れて買ったのだった

さて、この頃になると
さすがに「自分」という人間も読めてきて
わたしは習い事には向いていないとか
わたしを理解する先生に出会うことも難しいだろうと
つまり、自分がそういう面でとてもわがままであることに気づいていた
わがままな人間は人に頼らずひとりでやるに限る
どうせ自己満足のために弾くのだから
基礎レッスンなんて重要に思えなかったし
好きな曲を好きなように弾いて楽しければそれでいいじゃないかと
音楽教育に対して、どんどん否定的、反発的になっていくのだった

このように
学校での音楽はちっとも楽しくなかったが
ロックつながりの友だちはたくさんできた
(その頃はロックの布教活動に精出していたからでもある)
また
2年間在籍した落語研究班をやめて演劇部に移ってからは
自由に演じる楽しみも得た
なお、落研をやめたのは、例の先輩が卒業したという単純な理由からで
その頃には下級生がたくさん入部してきて廃部の心配もなくなったからだ

ギターを弾くようになってからは
はじめて楽器を弾くのは楽しいものだと知る
多分、楽器にも相性があるのだろう
そして、高等部に入った頃だったか
一度だけ文化祭で友人のフォークグループに参加を依頼され
アリスの『帰らざる日々』のサイドギターとコーラスを担当することになった
その出来はともかくとして
それは唯一の経験であり、良い思い出となったとなったことは間違いない
というのも、その時久しぶりに歌うことが楽しいと思えたからだ

今もその伝統が続いているのかどうかは知らないが
当時は、高校3年になると、合唱祭でヘンデルの『ハレルヤコーラス』を歌うのが恒例だった
中学の時から合唱祭はずっと適当に過ごしてきて
高校2年の時には美術を選択していたため、合唱祭には参加しなかった
(本当は見学くらいしなくてはならなかったのを数名の友人と脱走~)
でも、最後の『ハレルヤコーラス』の時は一生懸命歌った
その頃は、もう歌うことにわだかまりがなくなっていたし
もう18歳なんだからいい加減大人になって卒業しようかと思ったのかもしれない

音楽からはじまり
音楽に失望し
音楽に助けられ
音楽の多面的な楽しみを知り
友人達と共に
歌詞の翻訳と、楽器いじりと、素人音楽評論に明け暮れた青春時代が過ぎて行く・・・

                                         (つづく)

日々の暮らし | 15:32:22 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 2~狂詩曲 Rhapsody
小学校を卒業した3月、わたしは祖父に連れられて
はじめて新幹線に乗って東京へ行った
高層ビルと繁華街に圧倒されながら
そこでわたしが買ってもらったお土産は小さなオカリナだった
どこでオカリナという楽器を知ったのかは自分でも覚えていない
もしかすると、単に一目ぼれだったのかもしれないが
わたしはその素朴な音色に惚れこんだ

「1」で書いたとおり
わたしの求める音楽は
”叙情的で哀愁漂う”
”今まで聞いたことがないような意外性”を持った
”ドラマチックで大げさ”な曲


オカリナのような楽器は、”叙情的で哀愁漂う”イメージにぴったりで
そのオカリナではじめて練習した曲は
16世紀のイングランド民謡『グリーンスリーブス』
日本の古い唱歌と同じく
わたしはアイルランドやイングランドの伝統歌(トラッド)が好きなのだ

一方、テレビをにぎわす歌謡曲にはあまり心惹かれるものがなかった
だから当然、芸能人にも興味がなくて
わたしの中で音楽とは、こうしたトラッドとクラッシックだけだったのが
ある日突然、そこへ全く知らないジャンルの音楽が飛び込んでくることになる
これがロックミュージックとの衝撃的な出会いだ

はじめて聴いた曲は、ピンク・フロイドの『原子心母』
ロックってただジャガジャガうるさいだけの不良の音楽だと思っていたので
(当時世間の先入観とはそういうものだった)
え?これってロックなの??とただびっくりしながら
何かもう新しい世界がさぁ~っと目の前に開けた感じがして
12歳のわたしはそれから一気にロック道へとなだれ込んで行くのだった

『原子心母Atom Heart Mother~父の叫び』はこちら

このピンク・フロイドのようなロックはプログレッシブロック(略してプログレ)と呼ばれ
1960年代の後半から70年代にかけて大変な人気を博した
プログレはその名のとおり、先進的、前衛的で
クラッシックやジャズなどあらゆる音楽を取り込んだ実験的音楽だ
『原子心母』は23分もある大曲で
当時プログレ界にはこういった組曲形式の大作がたくさん生み出され
それを少人数のグループでしっかりライブでもやってしまう技量も素晴らしいものだった

以後は短期間のうちに、イエス、キング・クリムゾン、EL&Pとプログレの代表バンドを次々体験し
オーケストラの代わりに、当時最先端の楽器シンセサイザーを屈指する試みにも感激しつつ
もっと新しい音を新しい音楽を
既存の形式にとらわれない自由な音楽をと
それはちょうど新しい環境に踏み出すわたし自身への期待感にも似て
夢は限りなく広がっていくかに思えた

キング・クリムゾンの『エピタフ』はこちら(ジャケット画像が怖い!;;)

4月
私立中学に入学したわたしは
始まりからその学校につまづいていた
入学式の時に、はいていく規定のソックスの色が違ったのだ
この学校は中学部と高等部ではソックスの色が違っていて
わたしがその日はいていたのは高等部のものだった
そんなことも知らないくらい、元々その学校に対する熱意もなかったのかもしれないが
周囲の冷たい視線と、先生のお小言が心に痛くて
おまけに学校の校風も周りの雰囲気も違和感ありで
さっそくその日のうちにやめたくなった
でも、結局やめなかったのは、ロックの好きな友だちとの出会いがあったから
わたしは音楽に救われたのだ

で、わたしにとって最大の関心事であった合唱部の件だが
部活見学の日、まっ先に中学の合唱部へ行くと
そこにはすでにたくさんの部員が居て
更に大勢の新入生が押しかけていた
その光景を見ただけで、わたしはすでに気持ちが引けていた
基本的に、人が多いところは苦手なのだ
いや、合唱なんて大人数でやるものなのにそれじゃあ矛盾してると自分でも思うが
人と同じことをやるのはつまらないと思うひねくれた性格もあって
また、その時の見るからに真面目~な練習風景もちょっとねぇ・・・
まあ、要するにここはわたしの居るところじゃあないなということであっさり退散してしまう、、、

というわけで
一体何のためにこの学校に来たのやら・・・と、トボトボ別の部活を見てまわるうちに
たどりついたのが、人数が少なく廃部寸前の落語研究班(略して落研)
ここは中高合同の部活で、その時高等部2年だった先輩の強烈なキャラクターに魅せられ
まさか居ついてしまうことになろうとは、人生わからないものだ

このお方
1970年代に流行っていた土田よしこの漫画『つる姫じゃ~』の主人公の名前を高座名に持ち
落語が恐ろしく上手く
話を聞いているだけで頭の回転が非常に速いことがわかる
その上、ロック好きで、ミュージシャンの似顔絵漫画まで上手いとなれば
そんな変った人に出会ったことがなかったわたしが
まるで雲上人のごとく尊敬し、ついていくのは必然だった
わたしはどうも変った人を見るとふらふらついていきたくなるらしい
それは、無意識のうちに
わたし自身の感性とか感覚とかを共有できる仲間を探しているからなのだろう

かくして、わたしの中学生活は
当初の予定とは違う方向へと転がりだした
                                        (つづく)

*****

素朴な音色のオカリナ
今は娘の所蔵になっている
ocarina2009202.jpg

日々の暮らし | 21:04:56 | Trackback(-) | Comments(0)
音楽語り 1~前奏曲 Prelude
わたしのプロフィールの中で
趣味の欄には「音楽を聴く」と書いてあるが
以前から、わたしと音楽の関わりについては
順を追って記してみたいと思っていた

物心ついた時から歌うことが好きで
何か身近な存在だった音楽
その原点は、多分、母の歌う日本の古い唱歌だ
わたしの幼い頃の記憶の中では
母はよく家事をしながら歌を歌っていた
今は本人ちっとも声が出なくなったと言うが
わたしは母の歌は上手いと思っていて
一方、やはり歌うのが好きだった父の歌は
酔って歌うことが多かったせいか
ちょっと音程が外れていたと記憶している
父は趣味で尺八を吹いていて
わたしも小学生の頃、見よう見まねでそれを吹いたこともあったけれど
音だけは鳴ったが、あまり好きな音ではなかったので
習うまでには至らず終わった

こうして、幼心に、音楽って楽しい♪と思っていたわたしだが
楽器を習うのは好きではなかった
保育園時代には、YAMAHAの音楽教室に通って友達と一緒にオルガンを習っていたけど
それはあまり楽しいとは思えず
発表会に至っては、みんなで合奏するために苦手の木琴に回されたのが最悪で
もう逃げ出したくて仕方がなかった
だから、その過程が終了し、ピアノかエレクトーンを選択する段階になった時
ほとんどの子は続けたのに、わたしはあっさりやめたのだ
それでも母は何も言わずにやめさせてくれたのが嬉しかった

楽器を習うことは、自由に音楽を楽しむこととは違っていて
今のような多様化したレッスン形態がある時代でもなく
ただ退屈な練習を強要されるだけのレッスンはわたしには向いていない
音楽は好きだし、楽器も弾きたかったが
習うのはごめんだとばかりに自由になってから2年ばかり経ったころだろうか
近所のお宅にピアノの先生が個人レッスンに訪れているというので
うちにも来てもらうことになり、ピアノのレッスンが開始された
でもやっぱりダメなものはダメで、2年ほどでまた挫折
うーん、どうしてこんなに練習したくないんだろう
わたしってそんなに怠け者??と、自分でも自分がイヤになったが
やめるとまたとっても気が楽になった

かくして、楽器はすっかりあきらめたわたしだが、歌うことは相変わらず好きで
小学校でも歌は上手いといつも先生に誉められた
(おめでたいわたしはすっかりそれを信じて有頂天になっていたわけだが・・)
あの時代、特に好きだった歌は、NHKの「みんなのうた」に出てくる歌
一番好きだった歌は?と聞かれたら、今でも『小さな木の実』と答えるだろう

『小さな木の実』はこちらで視聴

今回、この曲について調べていてはじめて知ったのは
原曲はあの『カルメン』で有名なビゼーの曲だということだ
ビゼーといえば、『アルルの女』などもとても好きなのだが
わたしはこういう”叙情的で哀愁漂う”メロディに弱い

また、「みんなのうた」で、もう一曲思い出深いのが『トランペット吹きながら』という合唱曲だ
これは1972年の「NHK全国合唱コンクール小学校の部」の課題曲になっており
当時5年生だったわたしの学年もこれでコンクールに参加したことを覚えている
この曲は、『小さな木の実』とはまた全然違ったタイプで
曲調もリズムも変っていて
その”今まで聞いたことのないような意外性”が楽しくてわくわくしたものだ

『トランペット吹きながら』はこちらで試聴

更に、小学校の音楽の時間でもう一曲思い出に残っているのは『タンホイザー行進曲』
これは教科書に載っていて、授業でみんなと一緒に歌った
わたしにとってこの時がワーグナーとの出会いであり
以後ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』や『ローエングリン』など
”ドラマチックで大げさ”な曲にすっかり心奪われていくのだった

『タンホイザー行進曲』はこちらで試聴

また、小学5年生の時には
あのウィーンフィルハーモニー管弦楽団が広島にやってきて
わたしは両親に連れられてベートーベンの『英雄』を生で聴く機会にも恵まれた
確か同じ年には、ロシア(当時はソ連)のバレエ団の公演も見に行き
音楽と踊りを堪能する幸せな時を過ごすことができたのだった

その頃、相変わらずピアノはろくに弾けないし、楽典の勉強はさっぱりだったが
歌だけは好きで、音楽に近づきたいという意思は強くなっていく
だから、ちょうど中学受験をする頃になった時には
当時から合唱コンクールでも全国大会に出るほどの実績があるあの学校に行こうと決めたのだ
その学校で毎年一般客も招いて行われる合唱祭に連れて行ってもらった時
特に高校の合唱部の歌は素晴らしかった
よし、入学したらわたしも合唱部に入ろう!と決意する

その後、なんとか中学に合格し、入学を待つ3月になった時
わたしは新しい音楽に触れることになる・・

                                           (つづく)

日々の暮らし | 20:22:46 | Trackback(-) | Comments(2)
ワイン酵母発酵液をまく
少し前から、バラの基部に
白いカビのようなものが生えているのが気になっていた
多分、木材腐朽菌だ
これが生えたままにしておくと、木はやがて朽ちていく
以前、この手の菌にEM菌をかけたらすぐに溶け出したが
ワイン酵母発酵液ではどうだろうか?
winekoubo2009201-2.jpg winekoubo2009201-3.jpg

winekoubo2009201-1.jpg

少し前までは寒波の到来で
すっかり静まっていた発酵も
このところ気温が上がったきたせいか
シュワシュワと盛んになっている

コップに注ぐと
まるで炭酸ジュース
この勢いがあるうちに
さっきの腐朽菌にかけてみよう






winekoubo2009201-5.jpg

ワイン酵母発酵液をかけると
白色腐朽菌はすぐにゆるんできて
指でこすると簡単に落ちる
そして、皮もぼろぼろとれてきて
歯ブラシでこすると
きれいな幹が現れた

バラが活動を休止しているこの時期は
株を消毒するにもちょうどいい
ついでに他のバラにもこの発酵液をかけた

バラ2009 | 15:40:23 | Trackback(-) | Comments(0)
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kimi

  • author: kimi
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