9月のバラ 2
ブルームーン
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粉粧楼                          スパイス・ド・カフェ
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フルフル
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ルイ14世                        カフェ
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ディスタントドラムス                  ミスティパープル
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ホワイトクリスマス
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オクラホマ
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ロココ
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白キキョウとワレモコウ
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バラ2012 | 15:08:54 | Trackback(-) | Comments(0)
青春賛歌第二幕 26~分かち合うもの
息子は今朝、免許センターへ行き
昨日合格した大型自動二輪免許の書き換えを行った
そして、そのまま学校へ行き、帰宅後は
「大自二」が加わったゴールド免許証を自慢げに見せてくる
彼が普通自動車免許を取得してからすでに5年が過ぎ
その間ずっと無事故無違反で優良運転者の仲間入りをしたわけだ

昨日は昨日で、お昼頃「合格したよ」と電話が入り
夜には合格証書を見せてきた
小さい頃からいつも自分が見たテレビの内容や日常の事など
嬉しい事も楽しい事も悔しい事も必ず報告してきた息子は
今も同じように面白い情報を提供したり
自分が良いと思ったものを紹介したりしてくる

先日は、普段TVもほとんど見ず、映画にも縁がないわたしに
『しあわせのパン』という映画のレンタルDVDを持ってきた
息子の大好きな北海道の自然の中で撮られたこの映画は
さまざまな問題を抱えた人々がパンカフェ「マーニ」を訪れ
焼きたての素朴なパンを分け合って食べるという行為を通して
心を開き、孤独から解放され
”本当のしあわせ”について気づいていく物語

そして、この中で登場する絵本”月とマーニ”に出てくる
マーニが月に言うセリフがなかなか深い

 「大切なのは
  君が、照らされていて
  君が、照らしている
  ということなんだよ」

今日は、来月行われる学内演奏会で娘が着るドレスに少し手を入れてみた
これは、2008年に作ったドレスだが
ベルトとリボンに金色レースをはさむことを提案した夫は
出来上がりを見て「ほら、やっぱり良かっただろう?!」とちょっと自慢げに言う(笑)
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このレースは中世風ドレスの時に使った布の余りで
そのまま使うとこのドレスにはキラキラしすぎる
それがオーガンジーをかぶせることでぐっとやさしい雰囲気になった
娘のドレスを作る際には
娘だけでなく、こうしていつも夫にどう思うか尋ねることにしているが
中世風ドレスも
ウエストレース位置を少し上にもっていくようアドバイスしてもらった
そんな夫は
最近はyoutubeで色んな演奏家のドレスをチェックしているらしい

ひとりでは行き詰ってしまう道が
ふたりになると開けてくることがある
今年初め、これからどうしたものかと考え込んでいたバラ栽培も
母が積極的にネット検索しては新しい方法を見つけ出してくれたおかげで
ここまで面白い試みもやってこれたし
これから秋バラも楽しめそうな感じだ
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そんな母は、普段ほとんどどこにも出かけないけれど
娘の演奏会だけは頑張って出かけている
あれを見ると元気が出るらしい
そして、その元気を今度は野菜作りに還元し
できた野菜を毎日食べている娘は
もうほとんどアトピーが出なくなった

自分の持っているものを分かち合うことで
小さなしあわせは
いつでもどんな状況下でも生れてくる
だが、相手が何を望んでいるのかと
自分なりに気をつかってみた結果が
一方的な的外れになることも多い
大切なのは、正直な心を分かち合うことであっても
単純なことながら、これが一番難しいのも事実
なぜなら、そこには見栄や意地、思い込みや恐れもあるから、、

わたしは、まだ子どもたちが小さい時から
「大人の事情」や「世間の現実」を教えてきたが
そのようにしたのは
子どもは例えまだ小さくても
親が何を考え、何を迷い、何を悩んでいるのか
親の心が知りたいだろうと考えたからだった

良い話でなければ知らない方が幸せだという考え方もあるが
特殊な例外はあるとしても
基本的には事実を知らされない方がもっと不安だと思う
聞きたい、でも聞いてはいけない
話そうか、いや話せない
そんな思いはやがて互いを孤独にしていく
相手を思いやるがゆえにかえって心がすれ違うという現実に
気づいていない人は結構あるように思う

明日は、息子の新しいスーツが出来上がる日
来月には会社の内定式があり、教会では結婚式もある
また兄妹の共演が見られるのが楽しみだ
彼らの青春を共に分かち合う時間はまだしばらく続く

青春賛歌 | 23:50:56 | Trackback(-) | Comments(2)
9月のバラ
まだ秋バラと呼ぶには程遠い花だけど
涼風がふき、ぼつぼつバラが咲いて、良い季節になったなぁ~^^

マダム・アルフレッド・キャリエール
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たそがれ
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粉粧楼
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スパイス・ド・カフェ
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カフェ
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レッドカスケイド
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バラ2012 | 21:25:06 | Trackback(-) | Comments(2)
青春賛歌第二幕 25~エンターテイナーへの道
このシリーズの前回の更新からもう半年が過ぎたが
その間も娘は、更にレベルアップした定期試験にのぞみ
色々なイベントにも呼んでもらいつつ
一方では教職過程の実習に行くなど
相変わらず濃い日々を送っている

音大では普通クラッシック音楽のみ勉強しているものの
イベントで歌う曲は、その場の雰囲気や客層によって
ポピュラーやミュージカル曲を選ぶことも多く
あるいは向こうからこんな感じの曲でと指定されることもある
何にしても、一番のポイントは
お客さんが楽しめるものにすることだ
そして自分も一緒に楽しんで演奏する
これがエンターテイナーの醍醐味だろう

エンターテイナーとは
「自身の特技、演技、芸、パフォーマンス、マジック、音楽などを披露し
観客を楽しませる或いは笑わせることで接待するコメディアン、ミュージシャンを指す」
(wikipwdiaより)

基本的に音大生は音楽に強いこだわりを持っているが
自分のやりたい音楽と、実際に求められる音楽とに差があることも
娘はこれまでの経験を通して実感している

先月の植物園での野外コンサートにおいても
どうすればみんなが楽しめるのか、その最大公約数を求めて
歌だけでなくパフォーマンスも取り入れて工夫した
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歩いている人たちが足を止め
席に座っている人たちもそのまま最後まで聞いてくれるようにと
自分たちにできる精一杯の魅力あるステージを目指して
音楽家の卵たちは頑張っている

さて、一昨日
学内におけるオーディション合格者のコンサートが行われ
声楽アンサンブルチームとして娘も参加することができた
このオーディションを受けること自体、娘にとっては予定外だったが
こうして実際に晴れ舞台に立つことも予想外だったことは言うまでもない

はじめてのホールで、しかもパイプオルガン伴奏での演奏
そして、衣装はあの中世風ドレスが初披露となった
というのも、うたう歌が
17世紀の宗教曲『主に向かって新しい歌を歌え 作品98/D.ブクステフーデ』なので
その時代の雰囲気にちょうどいいと思われたからだが
これを作った時にはまさかこのようなチャンスが来ようとは
更にはこのドレスがホールでこんなにも映えるとは思わなかったため
苦労して作ったかいがあったとわたし自身すごく感激したのだった

ドレスの鮮やかなグリーンも
舞台照明によって落ち着いた色合いになっている
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階段を上る際にはドレスのすそを3回踏みかけたらしい(汗
宗教曲では楽譜を持つのが基本なので
片手でしかドレスを持ち上げられないのが難、、
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背筋をのばして凛とした雰囲気で歌う
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大きな拍手に送られて退場
ここでコケなくてよかった~
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聖書の”詩篇98篇1~4節”を歌詞(ドイツ語)にしたこの曲は
教会の子である娘にふさわしいと先生が選んでくださったものだ
本番は緊張のあまり声がかたくなってしまったと
本人としては「まだこの舞台は早すぎたかも」と勉強不足を実感したようだが
それでも演奏の間、時代がタイムスリップしたような不思議な雰囲気があり
ちょっと面白い舞台になったのではないかと思う

今年の5月で、これまで利用していた動画サイトのサービスが終了したため
今回はじめてyoutubeに演奏動画を投稿してみた
(動画が表示されない場合はこちらをクリック


これからはこの「限定公開」を利用して
また成長の記録を残していこうと思う

青春賛歌 | 23:17:16 | Trackback(-) | Comments(6)
やっと秋に
今朝の最低気温は19度と
いきなりひんやりした朝となった
やっと秋らしくなってきたことが嬉しくて
今日は久しぶりに庭仕事をする
(土の上にまいているのは竹パウダー)
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<今日のバラ>
マダム・アルフレッド・キャリエール
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ラバグルート
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ルイ14世
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たそがれ
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昨日は
高校の同窓会役員引き継ぎ会があり
新旧役員8名が集まった
こうして同級生が集う場では
たいてい昔の呼び名が使われることが多く
中にはかなり奇妙なニックネームもあるのだが
みんな平然とそのまま使うのが可笑しい

ちなみにわたしの場合はいつの時代も常に「kimi」で通っている
子どもの頃は、周りの女の子の名前にはほとんど「子」がついていたため
わたしの名前には何で「子」がないの?と思ったこともあったけれど
留学生にも覚えやすくて「oh!easy~」と喜ばれたこの名
結構良かったなあと今では思う

バラ2012 | 23:23:34 | Trackback(-) | Comments(2)
今朝、母が
「虹が出てるけど写真撮れる?」というので
急いでカメラを持って外に出た
そしてシャッターを押したが
電柱が入っているのが気に入らないので再び家に戻り
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今度は二階の窓から写してみる
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虹はみるみるうちに薄れていき
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間もなく見えなくなった
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ほんの短い間でも
虹を見るとなんだか幸せな気分になるのは
子どもの時から変わらない
多分、母もそうなのだろう

日々の暮らし | 22:47:31 | Trackback(-) | Comments(4)
台風
今回の台風は、さすが「大型」と言われるだけあって
ここ広島県西部でもかなりの強風が吹き荒れた

マダム・アルフレッド・キャリエールの枝が大きく揺れて
新枝の先がいくつかちぎれているが
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平然と咲いているバラもある

粉粧楼                     シュネープリンセス
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オフェーリア                  フェリシア
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ヘチマや
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パプリカも無事だった
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暑かった9月も
この台風が過ぎたらやっと涼しくなるらしい
やれやれ、年々夏が苦手になって(冬はもっとダメだけど)
今年はかなり夏バテもしたが
おかげで13年ぶりに胃の内視鏡検査にも行き
とりあえず胃酸過多以外問題がないと確認できて良かった

そういえば
昨年は更年期のせいか体重が増加気味(+4キロ)でまずいなあと気にしていたのが
今年はいつの間にか以前と同じくらいまで戻って安定している
「50歳を境に、これからは少し自分のケアを」
というようなことを昨年の今頃書いたけど
今はもう「仕方ないよね」が口癖になって
色々がんばらなくなってきたから
その分、ストレスがなくなって良かったのだろう

バラ2012 | 23:37:44 | Trackback(-) | Comments(2)
秋の庭
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ワレモコウ                   ベンケイソウ
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今年は奥も表もユーパトリウムの勢いがすごい
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ハナミズキ
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バラもちらほら・・・
グルス・アン・アーヘン             ルイ14世
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夏剪定から2週間が経過し
鉢バラはおおむね順調に新芽が伸び出しているが
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この道路沿い花壇はかなり不調・・・
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一向に動きがなかったり、新芽がたちまち虫に食われてしまったりと
これはきっと土の状態が良くない(=根の状態が悪い)のだと思うけど
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とりあえず、芽だし肥として硫酸マグネシウムをパラパラまいてみた
(鉢バラにもティースプーン1杯程度入れる)

庭つくり2012 | 21:20:21 | Trackback(-) | Comments(0)
バラの夏剪定と施肥
2か月ぶりのバラ記録を・・・

7月末にはあまりの暑さで動きの止まっていたバラも
8月上旬に施肥してみたところ
順調に新葉が展開し始めた

肥料については
いつもの即席発酵肥料(10-10-10化成肥料+酵母菌発酵液)の内容を変えて
10-10-10化成肥料をベースに
竹パウダー
光合成細菌発酵液
乳酸菌発酵液
酵母菌発酵液
↑これらを混ぜて一週間置いたものを使用している

施肥した時にはかなり葉を落としていた株もあったのだが
一週間ごとの様子を比べると
どんどん勢いがついてきているのがわかる

8月15日
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8月23日
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8月31日
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どの株も、わりと元気に夏越しできたみたい?!
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そして
9月1日には
伸びすぎたり込み合った枝だけを軽く整理する夏剪定を行ない
上記の肥料を大さじ一杯程度ずつ置き肥した

こちらは、残しておいた蕾が咲いた今日のバラ
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まだまだ秋バラには程遠いけれど
これからまた色んなバラに会えると思うと嬉しい^^

クレマチス”プリンスチャールズ”の3番花も開花
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バラ2012 | 18:39:45 | Trackback(-) | Comments(0)
善の行方20~自立へ
幼い時から好奇心旺盛で
大人から見れば「いたずら」にしか見えない「研究」を重ねてきた息子は
やがて「理科少年」から本格的な「科学オタク」へと成長し
半年後には更に違う分野に就職して
まだ見ぬ世界へ出て行こうとしている

世の中にはたくさんの「分野」があるが
どの分野も、外側から見たのではわからない内側の事情があり
息子は、科学の分野に身を置くことで
科学者に対する世の中の認識が
かなり現実離れしていることを知った

これまで「科学大国」だと自負してきたこの国は
実は大半の人々が科学にうとく
一部の人々がこの分野で頑張って成果をあげてきたのだということ
科学を知らない人は、科学者の説を妄信するが
学者の世界では常に全く反対の説があることが当然なのだという現実が
一般的にはなかなか理解されないらしい
要するに
科学者は誰もみな自分の説が正しいと信じて研究を続けていても
「絶対正しい説」はどこにもないにも関わらず
人々は「絶対の安心感」を彼らに求めていくわけだ

そもそも、宗教の関係から
迷信や縁起といった非科学的なものを信じる神秘的な思想を色濃くもつこの国は
一部の疑い深い人々にしか
科学のような合理的な考え方は受け入れ難いのかもしれない
一方で
権威のある肩書をもった「偉い人」の言うことは絶対だと信じやすく
病気になって病院に行けば
「医者が治してくれる」と誤解しているように
偉い人が何かしてくれるのだと
絶対だと思う人に「依存」する形が
人々の心の中に出来上がっているように思う
これはもはや「信仰」の世界だが
残念ながら信じている対象が人間である限り
そこに期待する「絶対」はない

この「絶対」を求める感覚が
宗教になるともっとややこしくなる
それは、「絶対」の存在である「天地創造の神」を信じるキリスト教とて例外ではない
なぜなら、「神の言葉」である「聖書」を元としながらも
世界中には2千を超える宗派(教派)が存在するのは
そこに「人の説(神学)」が介入しているからで
その説を唱える人が「教祖」となって
人々は神そのものよりも、教祖の中に神を見て「依存」する傾向がある
目に見えない神よりも
目に見える人間の方が、依存しやすく、安心感が得られやすいからだ

教会には心に問題を抱えた
前述の「アダルトチルドレン」のような人々が救いを求めてくる場合が多い
彼らの多くは極度に自信がないので人に依存しようとする
しかし、彼らに必要なのは「依存」ではなく「自立」なのだ

今まで、「自分が何者なのか」を知らずにきた彼らは
自分の置かれた現実世界で強く生きていく術を知らない
こういう人に
「これさえやっておけば幸せになれる」と言えば
とりあえずその言葉に飛びつき
それが仮に厳しい修行であっても、自分に不都合なことであっても
その先にあるものを期待して頑張るだろう
しかし、期待したものが得られなかったらどうなるのだろうか

わたしがHP『ぶどうの樹』を開設してから丸10年が経とうとしている
その間には、クリスチャンだという人々から
信仰生活の行き詰りについての相談も受けたが
それぞれ宗派は違えど
共通している問題点は
「人間の言葉に依存している」ということだった
別の言い方をすれば
人間の言葉に強く影響され、支配され、振り回され
元々アダルトチルドレンだったものが更に症状が重くなるという悲劇が
そこに生れていると感じずにはいられなかったのだ

本来キリスト教は
世の中に横行しているさまざまな思想(人間をしばる掟)から人を自由にし
各々に与えられた才能や持ち味が最大限に生きるように
「生きやすい道」へと導かれるものであるはずなのに
信仰熱心になるほど「生き辛さ」を感じるのはなぜなのだろう?

たとえば、ある人々は
世の中の「勝組思想」にのって
自分に与えられた「分」を超えた別のものを欲しがり
神の力を頼ろうとしていたのかもしれない

あるいは
修行系宗派に見られるように
自分を神のごとく神聖な存在にしたかったのかもしれない

また一方で
もし指導者の側に「勝組思想」があるならば
そこでは人は自ずと生き辛い方向へ導かれていくだろう
なぜなら、それは聖書とは全く反対の教えなのだから、、

しかし、「依存」しやすい人ほど指導者にとっては統制がとりやすく
「自立」させない方が団体の維持には都合がいいかもしれない
これが宗教の落とし穴でもある
このように
自分で考えない、疑問をもたない方向へと誘われることをマインドコントロールというが
本来、教会というところは
歪んだ思想のマインドコントロールが解かれ
自由になるべき場所であることをもう一度強調しておく

ならば、今から思いを変えて
「別の華やかな自分」という幻を探すのではなく
「本来の自分」をしっかり見つめることが先決だ
そうすれば自分に与えられている「原石」を見つけることができる

その人がどんな境遇・状態にあったとしても
誰の支配下に置かれたとしても
持っている原石は消えることはなく
誰もそれを奪うことはできない

大切なのはその原石を磨くチャンスや力や勇気が与えられることだ
「信仰」の意味はそこにあるのだと
そして、やがては
誰にもまねのできない唯一の「宝石」が生み出される奇跡を
「神の証」と呼ぶのだと思う
小さくても何色でもすべての宝石には価値がある
それが各々の生きている(生かされている)意味でもあると思うのだ

人間の心の中には
多かれ少なかれ、自分が優れたものでありたいとの思いがある
それが自分の自信となり支えともなる反面
その思いが行き過ぎ、道を踏み外しそうになった時
それをぎりぎりでくい止めるのは「良心」であろう
そして、人に良心を捨てさせないのが「愛」だ

この不安に満ちた時代にあって
世の中にある権威者、指導的立場の人や影響力のある人は
それぞれが置かれたところで何を求めていくのだろうか?
自分の利益か名誉か、はたまた世界征服の野望なのか?
それとも、自らの持つ小さな善の中にある良心が
本当の社会貢献に駆り立てていくのだろうか?

たとえ目立たない一般人であっても
たったひとりの人のために、あるいはひとつのことのために
どこまで心をかけていくことができるのか
そこに愛はあるのかと
人は生きている間、ずっと問われていくのではないかと思う

人に見せるための大げさな善はいらない
ただ薄っぺらな善であっても
それが生かされていくように
わたしは
自分の原石を見失っている人々と共にそれを探し
「依存」から「自立」に導く手伝いをするのが務めなのだと思っている

4年前に『人生の分岐点』シリーズを書いた際には
その締めくくりの言葉の中に
「子どもたちに残す遺言」と記したが
今回のシリーズは、『幸せな人生への覚書』として
次世代を担う者たちに贈りたい

そして、最後に4年前と同じ言葉を記してこのシリーズを終わりにする

人生最大の敵は自分の心
傲慢にならず、卑屈にもならず、自分の「分」に忠実に生き
神を畏れ、天から与えられる恵みに感謝し
その与えられた感動を社会に還元しながら
人生を楽しんで生きて欲しいと思う

                        (完)


 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ
  悪しき日がきたり、年が寄って
  ”わたしにはなんの楽しみもない”と言うようにならない前に」
                (伝道の書12章1節)


*****

コムラサキが色づいてきた
季節はもう秋
8月中に終える予定だった今回のシリーズも随分長くなったが
次回は放置状態のバラの記事なども書いていこう
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心の問題 | 15:13:08 | Trackback(-) | Comments(2)
善の行方19~許し
昔から離婚原因のトップを独走している「性格の不一致」の「性格」とは
その人の生まれ持った性格だけでなく
育つ過程で身に付けた考え方や価値観、生活習慣、癖
更には、コンプレックスから来る「ねたみ」「恨み」「憎しみ」といった「負の感情」まで
さまざまな種類のものが混在している
そして、各々が自分の持っている基準を「普通」とした上で
相手を見る時に生れた違和感を「不一致」と呼ぶのだろう

人の善悪の基準はいつも「自分」にあるため
その人の持つ許容範囲が狭いほど(潔癖なほど)「許せない」と思うことも多く
自ら事を難しくしてしまう可能性が高い
ただ、周りに良い見本となる人が居なかったために
あるいは悪影響を与える人がいたために
問題のある状況になってしまっている人に
「あなたの考え方は間違っている」と指摘しても
すぐに理解するのは難しいことだ
特に幼少時からすりこまれた思想は、その人を支配している
それを仮に「頭」では理解できたとしても
今までそれを正しいと信じて続けてきた「心」は納得しない

 「幼少時代から親から正当な愛情を受けられず
  身体的・精神・心理的虐待または過保護、過干渉を受け続けて成人し
  社会生活に対する違和感があったり子ども時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々」
                                (Wikipediaより)

これは『アダルトチルドレン』と呼ばれる人の定義だ
その特徴として代表的なものを一部あげてみよう

・ありのままの自分には価値がないと思ってしまう
・ノーと言うことができない
・自分の意見は二の次にして、周りに合わせようとする
・ささいなことで嘘をついてしまう
・自分の意見に自信が持てない
・被害妄想がある
・完全主義(失敗を極端に恐れる)
・何か問題が起こった時、自分に責任があるのではないかと思ってしまう

この特徴からは
いつも自分に自信がなくておどおどしている姿が浮かび上がってくる
決して本音で話してはいけないと思っているので
人と対等に話をすることも難しく
気をつけて話したことも後から必ず後悔するという
とても「自分」の人生を生きているとは思えない気の毒な状況がここにある

また、人の心に深く影響するのは親だけではない
親のように、あるいは親以上に信頼してきた人の言葉が
もしくは世間の心ない人の言葉が心に引っ掛かり
前へ進めなくしている場合
更にはその言葉が心の傷となってしまっている場合と
人の言葉の影響は計り知れないものがある

だからといって、今さら昔のことを掘り返して
自分に影響を与えた人物に責任を問えというのだろうか
むしろ、人のせいにする前に未熟な自分を反省したらどうだとの考え方もあるだろう
しかし、「負の連鎖」を断ち切れないでいる人々の抱える問題は
自分がどこでどう間違ったのか
そのルーツを知ることが重要であり
嫌でも過去を掘り返すことが必須となる
悲しかったこと、辛かったこと、その正直な思いを語ることで
やっと本当の自分と向き合えるようになるのだ
それは相手を恨むためではなく
あくまでも間違いを正して
新たに自分の人生を人に支配されず自分の足で歩き始めるため
そして最終的に
どんな人であっても人間は人間なのだと
間違いも失敗もあって仕方がないのだと
いつか相手も自分も「許す」ことができれば
そこから「生き直し」が可能になる

また、「許す」相手は人間ばかりではない
受験、就職、結婚、その他自分が思い描いた人生設計の理想と現実が違ってしまった場合
あるいは病気、災難、事故、大切な人との別離など
自分には起こらないと思っていたことが起きてしまった場合
そして、これは誰にでも平等に起こることでありながら
自分が老化していくことを素直に受け入れるのも案外難しいものだ
果ては自分がいつかは死んでいくことさえも許せないと思うかもしれない

人間は、物事を自分の都合に合わせて考えたがる身勝手な生き物であるが
一度身につけた思想からは簡単に逃れられない哀れな存在でもある
世界中には異なる多くの思想があり
それらは常に「性格の不一致」を起こしているように
誰でも自分が一番正しいと信じたいもの
だからこそ頑張ってきたし
自分が間違っていると考えるのは情けない

ただ、間違った思想には必ず「生き苦しさ」が伴ってくる
これだけは否定しようのない感覚だろう
自分で何かがおかしいと感じることこそそのサインだ

ところが、本当の正しさを見つけようとするとそこには邪魔も入ってくる
それは人が外から持ってくるのではなく
その人の内側から出てくる「罪悪感」という心理であり
内側の自分が「変わってはいけない」「親を悪く思うとは何事だ」
「苦しいのは自分が悪いのだから」「自分さえ我慢していればいい」と呼びかけている
ここが、どんなに間違った親であっても離れられない人の弱さの根源であろう

実のところ、日本人の90パーセントがアダルトチルドレンだという説もあるほど
間違った思想によって「生き苦しい」思いをしている人は多い
わたしがこれまで書いてきた「勝組思想」は
世の中の主流思想ともなって人々を動かし、それによって得た繁栄の裏で
人の心は確実に傷つき荒んでいった
また、崇高な理念であったはずの「平和・平等思想」は
行くべき道を迷い、行き詰っているように見える

これからの時代は
さまざまな思想の中で、もてあそばれ傷ついた心が
癒される方向へ進んでほしいとわたしは願う
そのためにも
誰かのせいで自分が不幸になったと被害者のままでいるのではなく
今この時を、これからを、有意義に生きていくように
もう誰にも邪魔されることなく自分らしく生きることができるように
わたし自身も正直に生き、その生きた証を残したいと思う

                  (つづく)

*****

実が色づく頃となった
どの色の時代もそれぞれに味わいがある
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心の問題 | 10:05:18 | Trackback(-) | Comments(0)
善の行方18~新しい時代
息子は近いうち母校の高校に行き
当時の担任の先生に会って
就職の報告をしようと考えている
高校を卒業してから5年がたち
公立ならばすでに先生も転勤してしまっている頃だが
その点私立の場合は、先生の定年退職まで同じ学校で会えるのがいい
2年前の大学院進学が決まった時も
ちょうど就職が決まった友人と一緒に出かけたが
このたびはその友人が仕事の都合で時間が合わず
息子ひとりで出かけるつもりのようだ

高校の卒業式の後
クラスに戻って先生から送られた言葉は
今でも心に残る印象深いものであった

「これから大学に進学し、やがて社会人になっていく君たちにとって
 今の時点で自分がなりたいと思っているような華やかな職業は
 社会の中のごくごく一部に過ぎない
 この社会は、実はほとんど”縁の下の力持ち的な仕事”で支えられていて
 多くの人がそういう仕事についている
 君たちもこれから将来どのような職業につくのかは今はまだわからないが
 どのような仕事でもその仕事に誇りを持って欲しいと思う」

すでに社会を知っている親と違って
まだ18歳の息子には、この意味はまだ何となくわかるという程度だったが
5年余りの間にさまざまな知識を仕入れ、経験を積むうちに
今ははっきり先生の真意をくみ取ることができるところにまで成長し
今回はそれを伝えに行くのだろう

若い人たちは
世の中にどんな仕事があるのかほとんど知らず
ほんの一部の華やかな職業だけを理想として思い描いている
その元は、多くは親が教え、あるいは世間が教えて目指させるわけで
こうして世間の「勝組思想」は伝承されていくが
華やかなものの中にだけ幸せがあるとの短絡的な考えが
これからはもう通用しない時代が来るのではないか
わたしはそんな気がしている
というのも
ここ数年の間に起こった世界的な不況や相次ぐ災害、事件事故等によって
人々の不安感が大きくなっており
国を、社会を、そして人の心を動かしてきた「偉い人」が
実は「賢い人」とは限らないのだという現実に
人々は気づき始めていると思うのだ

少し目先を変えるだけで商品が売れる時代は去り
「若者の○○離れ」と叩けば何かが売れるわけでもないのは
テレビや新聞で人心をあおる報道がされても
インターネットが普及したために
人々がそれを簡単には信じなくなったこと
そして何よりも不況と就職難という現実の中で
みんなが冷静になったことも大きな要因であろう

日本がいつまでも豊かな国であり続けると信じた中高年世代ほど
想像を超えた現状にどう対処すればいいのか戸惑っており
だからといって今までと違う方法も思いつかず
古い時代の考え方も簡単には変えられないでいるように見える
今やたらと出てくる「ゆとり教育世代」への批判は
そのいらいらの矛先が若者に向けられたもののようにも思えるが
(マスコミがそのように仕向けているとの見方もあるらしいが)
これからの高齢化社会を少ない人数で支えてくれる彼らには
批判よりも励ましをおくりたいと
少なくともわたし自身はそう思っている
教育の場は決して学校だけではない
もし彼らに欠けた所が多いなら
育てた親の世代も欠けているということ
ならば共に責任を負って自らを正していくのが筋であろうと思うのだ

昔から人は肩書をもった「偉い人」を信用してきたが
今の時代に必要なのは
権威の上にあぐらをかいた「偉い人」よりも「賢い人」の知恵だろう
「本物」を求め、人々の見る目が厳しくなった今
節約のために節約グッズを買わせる類の商法のように
ただ目先のものをおいかけるやり方は
時代遅れになっていく

インターネットは
ウソやデマ、誹謗中傷が簡単に横行すると恐れられる反面
きれいごとではない本音や
さまざまな視点から物事を分析した結果を知ることができるので
ネット世代の若者ほど、
ひとつの考え方に固執しない柔らかさをもっているのではないかと思う

人はどこかに追い込まれるまでは
自分の信じた正しさから離れられないのだとすれば
すでに追い込まれつつある今こそ
正しさの基準が変わっていく「その時」かもしれない

昔から、変わることを好まない一部の年寄りによって
若者批判は続いてきたが
わたしの願いは
大人が何を間違ってきたのかをはっきりさせることにより
次世代が作る未来へ道をつけることだ
ひとつの時代が終わり
新しい時代が形作られるまでには
10年20年という単位の年数がかかる
その時の主役はもうわたしたちの世代(50代以上)ではない

世の中では多くの人が「子どもたちに残す未来」の心配をしている
しかし、未来の主役である子どもたち自身が
もっと自由に発想し
人間性や感性を磨いていくことができるように
まずは大人自身が
今までしばられてきた思想や価値観から自由になることが大切だと思う

                       (つづく)

*****

今日はバラの夏剪定を実施した
猛暑を経て、これだけきれいな葉が展開している年ははじめてだ
苦節10年
やっと何かがつかめてきたような気がする
roses2012831-1.jpg

心の問題 | 22:46:41 | Trackback(-) | Comments(0)
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