青春賛歌第二幕 36~ダイエットを始めよう 7
息子の体重は、相変わらず変動がないまま2月も終わろうとしている
家に居れば間食したくなるし
出かける日は外食でカロリーオーバーになりがちだし
そろそろ「減量」というよりも「現状維持」でいいんじゃないかと
本人は思い始めているようだ
この2ヶ月半の間には
偏食も随分改善されて、健康への意識も芽生えてきたことを思えば
ここからは少なくとも以前の無茶な状態には戻らないんじゃないかとも思う
4月になれば、仕事が始まって忙しさと緊張でまだやせるかもね?!なんて期待も持ちつつ
今後は更にゆっくりとしたペースのダイエットに切り替えていこうということになった

目標の10キロ減には半分のところでペースダウンというのは
協力してきたわたしとしてはやや残念とも思っていたところ
昨日、入社予定者の親睦会のために久しぶりにスーツを着た息子の姿を見て
数字以上にやせていることに気づいてびっくり!
9月に新調したスーツはすでにガバガバで
大学入学時のスーツがちょうどよくなっていたのだ
6年前の体重は、今より更に5キロ減だったので
当時は多分少し大きめだったのだろう
というわけで、昨日は古いスーツで出かけて行った

それにしても、新年の写真を撮った時には
新しいスーツを大きいとは思わなかったから
あれから随分やせたんだなあと実感する

そうなると、今さらだけど
昨年の今頃、就職活動をしていた頃の体重がどれほどあったのか
計っておけばよかったと思う
あの頃はスーツがほんとギリギリで、ちゃんと新調したら?!と勧めたが
息子は「就活が終わったら新しくするよ」と言ってきかなかった
わたしの記憶では
多分、夏以降、お菓子やジュースといった間食について気をつけるようになり
ぼつぼつ筋トレも始めたと思うので
内定式を控えた9月にスーツを新調した時には
体重はピーク時よりもだいぶ落ちていたと思われる
じゃあピーク時と比べて結局今までにどのくらい変わったのだろうと
今さらながら知りたいと思ったわけだ

さて、昨日の親睦会においては
勤務地も決定し、予定通り家から通えることになった
入社後のスケジュールを嬉しそうに報告する息子の気持ちはすっかり社会人だ
思えば、大学の4年間は結構早いと感じたけれど
大学院の2年間はなかなかハードで
終わりになるほど本人も「もう十分です」という感じだった
常に高度なものを求められ
ミーティングのたびに厳しいツッコミにさらされ
変なプライドなんて持っていたらとてもやってはいけない状況の中
一番鍛えられたのは「メンタル(精神)面」かもしれない

以前息子はこうボヤいていた
「世間では、学生時代と違って社会人になったら大変って言うけど
自分の場合、社会人になって今とどう変わるのかって思うよね
正直なところ、すごく大変でも社会人は給料もらえる分マシじゃない?!」

これに対してわたしは
それでも学生と社会人では責任が違う・・・みたいなことを言おうかと思ったが
新入社員がいきなり責任ある仕事を任せられるわけじゃないし
楽しくても、決して「楽」とは言えない学生時代を過ごした息子にとって
社会人になる自覚がどうのこうのなんてお説教は無意味に思えて、意見は控えた

学校は学問の場ではあるけれど
「世渡りばかり上手くなった気がする」と自己分析する息子は
目の前の問題をいかに解決していくかという
実社会で要求される重要なスキルを学んだのだと思う

追い詰められるたびに「自分は何者か」がわかり
自分をよく知っていれば
「やる気になれば何でもできる」なんて大それたことは思わないが
そこで自分の持っているもの(資質)がどう生かされていくのか
見出すことができたら
それが先の自信へとつながっていくだろう

卒業まであと一ヶ月を切った今
すでに学生には見えない息子の様子に
わたしの役目もここで一区切りと安堵しているところだ

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青春賛歌 | 21:18:04 | Trackback(-) | Comments(0)
青春賛歌第二幕 35~ダイエットを始めよう 6
ダイエット開始から70日を過ぎ
この間も体重は増えたり減ったりしながら
結局5キロ減で停滞している
今月に入ってからほとんど減っていない状態だが
体脂肪率は20代を示すようになったし
あと、お腹周りも今月初めと比べて3センチ減った

先週から今週はじめにかけて
修士論文提出&発表という、卒業に向けて最後の難関を越えた息子は
今、学生時代最後の休暇をのんびりと楽しんでいる
忙しさがピークの間はダイエットもお休みし
もしかするとこのままやめてしまうのかな?と、こちらは勝手に想像したが
落ち着いてからは、また始めるよ~と宣言
ただ、これから本人ヒマになると間食したくなる誘惑にもかられるだろう
この辺をうまくコントロールしながらもう少し体重が減らせたらいいのだけどね、、

今日は、先週やってきたばかりの愛車をきれいに洗い
この後、空港までドライブして、大好きな飛行機を眺めてきた
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来週はこれに乗って、ちょっと遠出を予定しているらしい
社会人になったら、なかなかまとまった休みも取れないだろうし
まだ寒いけれど、早い春をしっかり満喫するといいと思う

さて、娘の方はと言うと
今月初めに試験も終わり、すでに春休みに入っているが
この先もずっと色んなコンサートやイベントが待っているので
練習のために毎日のように学校へ行っている(合間でアルバイトも)

こちらは13日に行われた演奏特殊講義研究発表会でのデュエット風景
(動画が表示されない場合はこちらをクリック)


来週は、恒例になっている大学近くの老人病院でのコンサートがあるが
この二人+2名+伴奏者で行って、いつもの唱歌のほかに
今回は昭和のナツメロを歌うことにしている
「東京ブギウギ」「一杯のコーヒーから」「青い山脈」「銀座カンカン娘」などなど
うわ~、よくこんな曲知ってるねぇ?!と思わず感心する曲ばかりだが
古い曲も彼女たちにとってかえって新鮮だったりして
楽しく準備を進めているようだ
いやあ、この子たちの歌うナツメロちょっとわたしも聞いてみたいわ~^^

その次の週には
ミュージカル同好会の『サウンド・オブ・ミュージック』があり
娘は修道院長の役をする
なぜこの役を選んだかと言えば
「すべての山に登れ(Climb every mountain)」が歌いたいから

衣装はすでに自作済みだ
娘は型紙なしでも布を体に合わせながらこういうものを作る
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どういう構造なのか分からず一番苦労したのがここ
なかなかそれらしくできてるじゃないの?!
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これは、試験が終わってすぐに作ったバッグ
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楽譜がしっかり入る大きさ&頑丈さが重要ポイント
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そして、ファスナーつきであることも必須
(高校生の頃作ったバッグの残り布でポケットを作った)
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青春賛歌 | 21:11:35 | Trackback(-) | Comments(0)
いいかげんな話 2~大丈夫
先日、ある人の「産後うつ」の話を聞いていた時
そのきっかけが「母乳信仰」によるものだったことを知り
ああわたしも息子を産んだ時、母乳にこだわる病院で苦労したなあと
当時の事を懐かしく(といっても良い思い出ではないけど)思いだした

現在24歳の息子が生れた時
わたし自身は特に母乳に対してこだわりはなく
かといって、体型が崩れるのが嫌という理由でミルクにするとか
そういう不自然なことも全く考えなかったが
まさか自分の子が母乳を飲めない子だとは想像していなかった

だから、母乳はたくさん出ているのに
ちっとも飲めない息子に対してどう接したらいいのかわからず
哺乳瓶なら受け付けるので、とりあえず搾乳して飲ませていたら
看護師さんから「飲むのが楽な哺乳瓶に慣れさせてはダメ!」と強く言われ
おなかがすいて泣く息子を一晩中抱きながら
自分も泣きたい気持ちでいっぱいだったことを思い出す

それから退院するまでの間はずっとこの調子で
こっそり哺乳瓶をとりに行ってミルクを作りたくても
母乳が出ているわたしはミルクに安易に走るべからず!と叱られ
入院中はわたしも息子も散々だった

そのため退院時には息子の体重はぐっと減り
それでも「母乳で頑張って」と送り出されたが
これからどうしようと戸惑っているわたしに
母はすぐにミルクを買ってきて「これを飲ませよう」と言ってくれた
おかげで息子はそれから飢えることなくすくすく成長し
わたしも寝る時間ができてホッとする
その後、何度か試してみても息子は哺乳瓶しか受け付けず
そのまま完全にミルクで育っていった

一方、次に生れた娘もきっと母乳は飲まないのだろうと思っていたら
こちらは意外にも最初から当たり前のように吸いついて飲み始めたので
同じ赤ちゃんでもこんなに違うものなのかととても驚き
飲む子も飲まない子も、あるいは母親の母乳が出るも出ないも
みんな全然事情が違っても不思議ではないのだと
わたしはこの時勉強したのだった

よく、「当たり前」という言葉を簡単に使うけれど
その「当たり前」の基準は人(あるいは時代)によって差があり
そこにまた人が勝手な説を打ち立てる
こうして、残念ながら「当たり前」の範囲から外れてしまった者は
自分は失格者なのだと劣等感をいだくようになることから
それが「うつ病」にもつながっていく場合があるなんて
勝手な説を言い出す人も問題ありだが
一方で、それにふりまわされる自分もどうなのかと
よく考えてみなくてはならないだろう
ただ、本人が自信を失い、戸惑っている時
身近に「大丈夫」と言ってくれる人がいたら心強い

さて、息子と違い、最初からずっと母乳で育っていた娘だが
8か月の頃、急に断乳を強いられることになるのもまた予想外のことだった
それはちょうど夫の胃がんの手術にわたしが付き添うことになったためで
その時初めて数日間わたしから離れることになった娘のことをどうしようかと
わたしは母に相談した
すると母はあっさり「離乳食だけでも大丈夫よ」と言い
「母乳がないと夜泣くんじゃないかな」と心配するわたしに
「泣いたら抱っこするから大丈夫」と笑って言った
そして、その言葉の通り
娘はその日から完全に離乳食に移行し
いっさい夜泣きもなく
まるで何事もなかったかのようにおばあちゃんの家で機嫌よく過ごしたのだった

わたしの母は、初めての子育ての時、育児書を読んで混乱したらしく
あんなものは読むもんじゃないよと常々わたしに語っていた
子どもなんて理屈や理想通りにはいかないのが「当たり前」と
特に身近な人が前もって幅のある育児を教えてくれたら
産後うつに陥る人も少なくなるのだろうなあと思う

自らの経験(失敗)を通して
「いいかげん」を知っているからこそ言える「大丈夫」の言葉には
人を安心させるものがある
不安を解消するために(安心感を得るために)
人はあれこれ先回り(ある時には暴走)してみるけれど
なかなか自分の思うようにはいかない経験を積むことで
どの程度「いいかげん」でも「大丈夫」なのかの「幅」を知り
かえってそれが自分の自信になっていくというのも面白いものだ
そして、自信を持って「大丈夫」と言ってもらえたら
自信のない人はそれだけで勇気が出る

目先のことは失敗に見えても
それでもうすべてがダメになっていくわけじゃない
世の中は不安な情報で満ちているけれど
そんな中でも、お互いに自分の持っている「大丈夫」をシェアできたら
もっと穏やかなものが広がっていくんじゃないかと
わたしはそこに希望を置いてみている

                    (つづく)

心の問題 | 12:56:00 | Trackback(-) | Comments(2)
いいかげんな話 1~なにがなんでも
ここ15年、石けんと合成洗剤とちゃんぽんの生活をしてきたわたしだが
最初、石けんなら害はないだろうとせっせと取り入れていた頃に比べて
今は安全性重視よりも、自分で気持ちの良い範囲を重視するようになったなあと
我ながらだんだんいいかげんになってきていることを改めて感じている

わたしの性格は
方向性が決まれば一直線の猪突猛進型のところがあり
やる時は集中して一生懸命やるけれど
「これはいまいち合わないな」と感じたら、結構切り替えは早い方だ
もし間違っていたら傷が深くならないうちに方向転換することは重要だと思う一方で
何より面倒なことは続かない
前回も書いたように
若い頃はあれだけ毎日洗髪しなければ気がすまなかったのに
とにかく面倒になったことから2日我慢できるようになったのは良かったと思う

こうしていつの間にかわたしの洗髪回数が減っていたように
長年「リップクリーム依存症」ともいえるほどその使用頻度が高かった娘は
なぜか最近では次にぬるまでの時間が随分開くようになっているらしい
以前は1時間に何度も塗らずにはいられなかったのが
今は気づけば8時間ぬらずにすんでいる時もあるとかで
かなりくちびるが普通の状態になってきているようだ
そこで、どうやって依存症を克服しているのかと聞いてみると
「最近リップクリームをどこに置いたかわからなくなることが多くて
探すのも面倒で我慢しているうちに塗らずにすむようになった」とのこと
ここでも、わたしと同じく「面倒」という言葉が出てきたのは可笑しかったが
人間は、このちょっと「いいかげん」なところがあることで
かえって救われるのかもしれない

ところで
「いいかげん」と聞けば、意味は「無責任」「中途半端」など悪い印象を思い浮かべるけれど
これを漢字では「好い加減」と書き
意味も「程よい」「適度」など
そう言えば良い意味で使われる場合もあるなあと気づいたのは最近のことだった

物事の感じ方は人によって異なり
誰しも自分を基準にして良し悪しを判断しがちではあるが
その判断に一定の幅を持たせるこの「いいかげん」という言葉は
実はとても重要な感覚なのだと思う

人は、ゆるすぎても困りものだが
厳しすぎると更に生きにくくなってしまいがちだ
世の中には白黒つけられないことがたくさんあり
「なにがなんでも」と、自分の信じた正しさにしがみつくと
場合によってはとんでもないことにもなる・・
これは、わたし自身も経験し
人生に行き詰った人々を通しても常々感じてきたことでもある

数年前、わたしは子どものアトピーに悩むあるお母さんから電話相談を受けた
幼い時から発症し、最初は病院で処方されるままステロイド剤を使っていたが
その危険性を知ってからは脱ステロイドしたもののリバウンドに苦しみ
さまざまな民間療法を試しても快方に向かうことはなく
青春時代真っ只中の年齢でありながら学校へ行くこともできず
あまりにひどい状況を見かねて病院へ行かせたいと言う夫と
ステロイドが怖くて病院へは絶対行かせたくない妻の間は常に対立していた・・

娘のアトピーで、やはり脱ステロイドの経験をしていたわたしは
この人の思いも心の叫びもみな一様に理解できるものではあった
だが、子どもの病気を治すことに懸命になった親は
その人がまじめで一生懸命であるほど(いいかげんになれない人ほど)
自分が良かれと思って頑張ってきた結果が思わしくなくとも
今までやってきたことが間違いかもしれないとは考えたくないのだろう
もし間違っているというのなら
すでに取り返しのつかないことをしていることになるじゃないか
そんなことは信じたくない
そのように感じても仕方がないことだとわたしは思った

しかしこの場合、重要視すべきは
親がどうしたいかではなく
子ども自身がどうしたいのか(どうしてほしいのか)だと思う
そう考えれば答えは一つ
まずはかゆみから少しでも解放されてゆっくり眠ること
そのためには、悪だと思っている薬でもたちまちは必要だろう
そして、アトピーのようなアレルギーの病気には心の平安が大切だ
両親がいがみ合う家庭環境は好ましくない
そして
親の考えや都合ではなく
子どもがどうしてほしいか(どうなりたいか)を優先する
その判断に必要なのは「愛」だと思う

うちの娘の場合もアトピーはかなりひどい時期があったが
さまざまな民間療法も試し、石けんを作り、保湿剤も作る一方で
皮膚科へ行って、ステロイドをなるべく使わない方法も相談しながら
抗ヒスタミン剤の塗り薬を使用したりしているうちに
小学校の低学年で症状は沈静化していった

ただ、今思うに
あの頃、家では夫の両親の介護生活が続いており
娘は息子と共に、わたしの母と祖母が暮らす家によく行っていたので
そこで過ごした穏やかな日々が
一番の薬になっていたのかもしれない
当時は、娘自身おばあちゃんの家が自分の家だと信じていたほど
(それほどよくあずけられていたわけ)で
それを聞いた時にはちょっと複雑な感じもしたけれど
娘にあの頃の心境を尋ねると
本当に楽しくて、あの家が大好きで、良い記憶しかないらしい
おかげでわたしたち(親)は介護に疲れていても
子どもに八つ当たりをすることもなく過ごせたし
結局、娘の場合、どんな薬よりも民間療法よりも
惜しみなく注がれる「愛」が重要だったんじゃないかと
今さらながら思うのだ

では、前述の相談者に「愛」がなかったのかといえば決してそうではない
「愛」があるからこそ子どものアトピーを何とかしたいと思ったわけだし
そのために彼女が長年どれほどの苦労をしてきたかわたしにはよく理解できた
だが、ひとりで問題を抱え
またその人が「いいかげん」になれない性格であるがゆえに
「なにがなんでも」自分が正しいと信じた方向に暴走したため
「愛」が行方不明になってしまったのかもしれない

アトピーの治療方法については
現在もさまざまな説があるけれど
その発症原因はひとつではなく、原因が違えば治療法も異なるため
他人の情報を聞いてもあまり参考にならないこともある
だからこそ、何か良さそうな情報を聞いても
実際の手ごたえをしっかり確かめながら試みた方が良い
これは必ず効く!と信じていたら
その信仰(?)ゆえに、現実とは違う妄想に陥ることもあるので
この辺は注意が必要だ

そんな悩ましい試行錯誤の中で
自分に合う方法を見つけていくために
「なにがなんでも」の完璧主義から
ずっと幅を広げた「ちょうどいいかげん」の考え方へと変わっていくなら
その先の生き方そのものも、ずっと大らかで穏やかなものとなるだろう

                     (つづく)

心の問題 | 13:01:32 | Trackback(-) | Comments(2)
石けん生活の話~洗いすぎの害
わたしは若い頃から自分に合うシャンプーが見つからない「シャンプージプシー」であり
毎日洗っても洗ってもいつも頭皮がかゆい日々を送っていた
また、かゆみと同時に、洗って乾かした時のサラサラ感が一日でベタッとなる不快感も嫌で
常にサラサラであることを求めて、いよいよ「洗う」ことに熱心になっていく

15年前、『あぶない化粧品』のシリーズを読み
「かゆみ」の原因のひとつが
シャンプーやリンスに含まれる合成界面活性剤等の化学物質にあることを知ってからは
石けん生活に切り替えたけれど
それでも「かゆみ」と縁切りはできないばかりか
ベタつきがひどくなった分、余計にかゆいように感じて
結局何度も合成シャンプーに戻っている

さて、ここ数年、「肌断食」とか「角質培養」という言葉を聞くようになり
”洗うだけで何も付けない””こすらない”といった美容法が静かなブームになっているが
長年、徹底したクレンジングと、ピーリングやパックによる角質除去が常識化し
それを熱心に行ってきた人々にとって
まるで反対の美容法は、頭で理屈は分かっても、実行するのは難しいかもしれない
わたし自身は、15年前からすでにこういうことは実践してきており
その過程で、自分の肌質を理解しながら(←これが重要)
加齢という変化も受け止めて(←これもかなり重要)
今は、自家製の化粧水(水+グリセリン+精油)と
少量のクリーム(アロエバター+ホホバオイル等+精油)で保湿するのがちょうどいいと感じている

また、わたしの若い頃の失敗を繰り返さないように
肌の弱い娘には昔から化粧品(特に基礎化粧品)の害を教え
友達が何を使っていようと、それに影響されないで
自分にちょうど良い方法を模索していくことを勧めている
そんな中で、昨年は
メイク落としシートの試供品を使ってまぶたがはれ上がるという大変な目にもあった
元々メイクはパウダーのみだから
石けんだけで十分落ちるのだが
手軽だと思って使ってみた商品がこれで
それ以来、滅多なものを使うもんじゃないと懲りたらしい

小さい時からアトピーに悩まされた娘だけど
有難いことに今は21歳らしいきれいな肌をしている
夜は、メイクを落とすために自家製の石けんで洗い
その時の肌の状態に応じて、自家製化粧水をつけたり、何もつけなかったり
そして朝は水で洗うこともなくそのままメイクする

ただ、彼女の肌に何のトラブルもないのかと言えばそうでもなく
特に頭皮と背中のかゆみが問題で
そのため毎日のシャワーと洗髪は欠かせない
中学生の時、久しぶりにアトピーが悪化して皮膚科に行った時には
アレルギーの原因は「汗」と診断され
その後、自分の肌から出る皮脂もかゆみの原因になっていると自分で感じたこともあり
それらを洗い流す作業はいよいよ欠かせないものとなっていく

このたび、石けんについて改めて調べてみて
わたし自身、合成シャンプーから石けんシャンプーに変えても、なお解消しない「かゆみ」の原因は
多分「洗いすぎ」によるものであろうことがわかってきた
つまり、洗浄力の強いシャンプー(石けんも)で洗うほど皮脂がたくさん落ちて
それを補おうとして更にたくさんの皮脂が出る
洗っても一日で頭皮が脂っぽくなってかゆいので毎日洗う
こうして洗えば洗うほどかえって皮脂の分泌を促進してしまう上に
洗うことにより、皮膚の「常在菌」が失われてしまうことも問題だ
なぜなら
この皮膚に住んでいる常在菌(表皮ブドウ球菌)は、お風呂やシャワーで70パーセント
更に石けんでゴシゴシこすって洗うと90パーセント以上が失われてしまうため
そうなると悪臭の元となる菌(黄色ブドウ球菌や真菌)が繁殖しやすくなるのだという
洗えば洗うほど皮脂と常在菌が失われ
ベタついた悪臭のする頭になるなんて、なんとも悲しい話だと思う一方で
この10年、バラのために土壌微生物と仲良くすることを試みてきたわたしには
皮膚の常在菌の話は実に受け入れやすく
いよいよ微生物に興味がわいてくるのだった

こういうわけで
世の中ではいつの間にか密かに「脱石けん」が進んでいて
頭も顔も体さえも洗わない「湯洗い派」の人々が結構いるらしいことも驚いた
わたしの場合、合成シャンプーが合わないから石けんシャンプーにかえることはしても
石けんを使わないという選択肢はなかった
だから何度も合成シャンプーに戻っていたわけで
結局、洗いすぎを解消しなくては頭皮のかゆみからは解放されないのだろう
ただ、昔は毎日欠かさなかった洗髪も
いつの頃からか洗うことそのものが面倒になって2日に一回になっている
それでも、正常な頭皮は4日位洗わなくてもかゆくならないそうなので
2日目にはかゆくて早く洗いたいと思っているわたしはまだまだダメみたいだ
そこで、今回とりあえず4日は石けんを使わず過ごしてみることにした

いつものように石けん洗髪をし、次の日は洗わず
2日目は湯洗いだけしたが、何だかすっきりしない
3日目の朝には頭皮のべたつきが気になるも、髪は汚くない感じ
3日目の夜も湯洗いするが、その前に夫に頭を匂ってもらうと^^;
「脂っぽいニオイだけど臭くはない」とのこと
湯洗いした後再び匂ってもらったら、「脂っぽいニオイもなくなった」
4日目の朝、また匂ってもらったら、やはり「脂っぽいニオイもない」ままで
その日一日、髪も思ったほどベタつかず、当然出ると思ったかゆみもほとんどなく
湯洗いだけでも結構いけることがわかった
ただ問題があるとすれば
頭が少しでもベタついていると、臭いんじゃないだろうか?と気になる自分の心かなあと、、

また、「タモリ式入浴法」で検索すると
たくさんの人がこの「洗わない入浴方法」に興味を持っていることがわかり
きっとみんな興味はあっても
それぞれが持つ「常識」に照らし合わせて躊躇するであろうことと
その一方で、実践者の好結果を聞けばやはり心騒ぐだろうことも容易に想像できるが
何にしても世間の「清潔、抗菌志向」とは真逆の入浴法が注目されるという
そんな世の中になっていることが実に面白いと思う

心の問題 | 23:30:40 | Trackback(-) | Comments(0)
石けん生活の話(2月11日の続き)
前回、石けんに対する思い入れと現実についてふれたが
石けんも合成洗剤も、それぞれにメリットとデメリットがあって
完全に安全で環境に負荷をかけないですむような洗浄剤はないことが
はっきり語られるようになってきている現在では
それを理解した上で、使用する人の体質や生活スタイルによって
「合う」「合わない」を自分の経験に基づいて判断し
無理のない穏やかな暮らしを求めて
各々が選択していけばいいんじゃないかと思っている

一方、「世の中には危ないものが満ちているけれどうちの商品だけは安全!」
と宣伝する業者は後を絶たず
実にまぎらわしい「ニセ科学」というものが消費者の心を惑わしている
安全性というものに人々の関心が集まる中で
科学的根拠は何かとの論争は絶えないけれど
科学云々以前の問題として
何より「良心」が問われる時代になってきたことを実感しつつ
わたしは以下のリンクページを読んだ

「ニセ科学と石けんの諸問題」

ニセ科学について、本文中には
”科学的根拠に乏しい物事に一見科学っぽい衣を着せて人を騙すのがニセ科学です”
と記されている
では、なぜだますのかと言えば、当然そこには「儲(もう)け」の問題があるからだ
(以下本文抜粋)

”「儲かる」という字は「信者」と書きます”

”儲けるために消費者を自分の信者にする
 しかし、その「信者」をどのような方法で獲得するかが
 今あらゆる分野で厳しく問われているのではないでしょうか”

”TV番組しかり、食品製造業しかり、そして石けん会社しかり
 地味で時間がかかっても嘘のない真実を伝えて人心を得るか、それとも――”


新しい、便利なものができた時
そのメリットについては注目されても
デメリットについては、ある程度の時間がたたないと明らかになってこない
すべてのものにデメリットはつきものであると考えれば
後から色々問題点が出ることそのものは自然のことと思うが
デメリットについて隠ぺいすることで
そこに何らかの被害が出る(更に拡大する)のは大きな問題だと思う
その一方で
「うちの洗濯物はどうして黄ばむ?」に記されているように
黄ばみやニオイを解消するアルカリ剤を添加した粉石けんを企業側が売ろうにも
消費者側が「無添加石けん」にこだわる場合
消費者のニーズ(売れる方)を優先してしまうのは
ある程度仕方のないことだろう
そんな企業側の姿勢をさげすむのは簡単だし
その方が一時的には自分が傷つかないけれど
相手が悪いだけでは済まされない問題が世の中には多いのも事実だ

”「どんなときでも無添剤が最高」と信じる方が楽ではありますが
 その代償として洗濯物の黄ばみと臭いを我慢するのと
 ほんの少し努力して正しい石けんの使い方を身につけてトラブルと縁を切るのと
 どちらがより快適かは言うまでもないことでしょう。”(本文より)


これを読んだ時
わたしは今まで石けんの正しい使い方を知らなかったのだと実感し
その後、アルカリ剤である「過炭酸ナトリウム(酸素系漂白剤)」を買ってきた
ちなみに、今回初めて知ったことだが
同じように「酸素系漂白剤」として売られている商品でも
純粋に過炭酸ナトリウムだけで構成されているものばかりではなく
中には、合成界面活性剤などが添加されているものもあるので注意が必要だ
そして、現在わたしは、このアルカリ剤を用いて
石けんも合成洗剤も使用しない「アルカリ洗濯」にチャレンジしている
アルカリ剤だけでは生地が堅くなるので
柔軟剤の代わりにクエン酸と、レモンのエッセンシャルオイル(2滴)も使ってみると
柔らかさはまあまあ、香りの方は洗濯物が乾くとほとんどしなかった
それでも、ちゃんときれいに洗えているし、変なニオイもないし
すすぎは一回ですむし、とりあえず悪くはなさそうに思う
arukari2013211.jpg

石けんとつきあい始めて15年がたった今
こうしてわたしの石けんライフはまた違った方向を見い出しているが
更に思いがけない展開になってきていることについてはまた次回。。

心の問題 | 23:08:14 | Trackback(-) | Comments(0)
青春賛歌第二幕 34~ダイエットを始めよう 5
ダイエット開始からちょうど60日
昨日の時点で5.6キロ減だった体重は
今朝計ると0.4キロ増えていた
この一週間、増えたり減ったりでプラスマイナスゼロだが
前日特に食べ過ぎたわけでもないのに増えていたり
反対に、食べ過ぎたと思った翌日が意外にも減っていたり
この辺の動きはまちまちだ
先週は忙しさと疲れで食べ物のことを考えるのも面倒になって
お昼がカップめん、夜はハンバーガー3個(1200kcal!)なんていう日もあった
だからといって翌日体重が増えたわけでもなく
今朝の0.4キロ増についても
息子はこの程度はいつも「誤差の範囲内」と考えている
でも、わたしだったら
増えてる?なんで?夕べ何食べたっけ?なにがいけなかったのかな、、、
と、すぐに動揺しそうな気がするが
息子はとても合理的な人間なので、この辺の動揺がないらしい
まあ先週は部屋に栄養ドリンクの箱(10本入り)が置いてあったし
あれだけ全部飲んだ結果が±0ならOKじゃないかとも思っているのだろう

さて、ダイエットにも色んな方法があって
最近では「糖質制限ダイエット」なんてのも人気があるらしく
確かにこれで劇的に体重が減ったという話は聞くけれど
多分この方法は息子には向いていないだろうなと思う
糖質以外のものは量を制限せずに食べられるから空腹感はないとしても
制限される食べ物の中に自分の好きなものがたくさんあるとすれば
あれもこれも食べられないと思う方がストレスたまりそうな気がするからだ
もちろんこれはその人の性格にもよるわけで
何をするにしても、どの方法をとるのが良いのかは結局個人の問題になる

で、前回予告した「石けん生活」についてちょっと書いておこうと思うのだが
わたしはサイト『ぶどうの樹』を開設した当時から手作り石けんについてのコンテンツを載せている
わたしにとっての石けんとは
アトピーに悩まされていた娘にとっても
さまざまな化粧品や洗剤類で肌荒れを起こすわたし自身にとっても
救世主のような存在であったからだ

そもそも、わたしが石けん生活を始めるきっかけとなったのは
今から15年以上前に「あぶない化粧品」という本のシリーズを読んだことで
化粧品を変えてもシャンプーを変えても一向に肌の状態が改善されないのは
それらに含まれる化学物質の影響と
更には基礎化粧品を使いすぎたために”累積性皮膚炎”を起こし
皮膚が自ら潤う力も再生する力も失っていることに気づいたからだった

当時はまだ30代で、今よりずっと若かったのに
石けんで顔を洗った後の肌は何時間たってもつっぱったままで痛くなっていく
それから数日間は顔が痛いほどつっぱる状態が続き
ある日ひび割れるように皮がむけはじめ
3週間たった頃には一皮むけてきれいな皮膚が出てきて
それからは化粧水も何もつけなくても痛くない肌に生まれ変わった
その過程は本に書いてある通りで
それまで化粧品の害と言えば、厚化粧によって皮膚呼吸できないとか
脂やけを起こしてシミになることだと思っていたのが
怖いのはむしろ基礎化粧品の使いすぎであることを知ったのだった

本の中で、合成洗剤や化粧品に含まれる石油系の合成界面活性剤の悪い影響も知り
お風呂でも台所でも洗濯でも全部石けんに切り替える石けん生活を始めたが
わたしの場合、本を読んで一番興味深かったのは
化学物質の影響うんぬんよりも
原価100円のクリームが一万円で売られるといった
化粧品業界のぼろもうけシステムだ
今思えば、多分それに対する許せん!という気持ちが石けん生活へのシフトを加速させたのだろう
もちろん化学物質の影響も大きな要因ではあるけれど
こうして始めた石けん生活も
やがてその使いにくさを知るにつれてトーンダウンしていくのである

手作り石けんで顔を洗うのは今もずっと続けていて
これは自分で気持ちいいと思う
だが、石けんシャンプーは髪がギシギシし
酢やクエン酸である程度手ざわりは良くなるけれど
乾かした後の髪のべたつきが気持ち悪く
使い続けるほどに髪がバサバサになっていった

台所では、揚げ物をした鍋は石けんでは何度洗ってもすっきりしない
そのうち、油汚れ用にだけと合成洗剤が復活し
どうせ食器洗い機用の洗剤も合成洗剤だし、色々置いても面倒だよね・・と
いつの間にか台所から石けんが消えた

洗濯には何度も粉石けんや液体石けんを使ってきたけれど
仕上がりの風合いは柔らかめでいいとしても
黄ばみとニオイがダメで挫折している

こんな風に、なぜ石けん生活は難しいのか
それについては以下のリンクページに解説がある

「うちの洗濯物はどうして黄ばむ?」

これを読んで思うことは
わたしの石けんに対する考え方は、15年も前に仕入れた情報が元になっていて
その後、進歩していないということだ

また、この15年の間には
化学物質アレルギーの問題がクローズアップされるにつれて
世間の目も厳しくなり
消費者はまず安全と安心を重要視するようになったことから
企業も問題点を改善するべく努力をしてきたと思われる
台所の合成洗剤も、昔のように手荒れがしなくなったし
(うちは薄めて使っているせいもあるけど)
わたしと同じく石けんシャンプーが苦手な娘のために購入している合成シャンプー(ノンシリコン)は
石けんがベースになっているとはいえ、合成界面活性剤も含まれているが
洗い心地がとてもすっきりしていて、娘にとってはなくてはならない存在だ
そして、驚いたことには、これを娘と一緒にしばらく使っていたわたしが
久しぶりに石けんシャンプーに戻してみると
何と、昔のように髪がバサバサ&ベタベタにならないじゃないの?!と、びっくり~
もしかして、ずっと昔に合成シャンプー使っていた頃よりも
髪自体の状態がいいのかもしれない?
とりあえずあのノンシリコンシャンプーは悪くないのかも?と思ったり・・

こうして、昔はダメと思ったものが
今は違う見方をするようになったものがある一方で
基礎化粧品は今も自分で作った化粧水とクリームしか使わない
メイク用品は安価なものをチョイスし、口紅は自分で作る
もう累積性皮膚炎はコリゴリだし
あの業界のぼったくり疑惑が今も腹立たしいから・・

多くの女性が、きれいになると信じて化粧品を買っている
その「信じる気持ち」を利用した商売は
安心・安全を信じて石けん生活を送っている人々もターゲットにし
今は本当にたくさんの業者がエコを名乗って市場に参入しているが
石けんだから安全で環境に優しいと思いこんでいる人に対して
デメリットを発信し、警鐘を鳴らす情報もネット上に出てきている
でも、石けんに対する絶対的信頼を持っている人はそれを合成洗剤屋の陰謀だと思うケースもあり
このような石けん絶対主義の人を「石けん信者」と揶揄する向きもあるらしい

自分が良いと思うものを人にすすめたくなる(認めてほしい)のは普通のことだが
問題は、それを受け入れない人に対する拒絶反応だろう
わたしは以前、エコ活動に熱心な人が
「台所に合成洗剤が置いてある人は信用しません」と言うのを聞いて驚いたことがある
合成洗剤の使用者=信用に値しない人
この感覚にはついていけないと、思わず引いたのは言うまでもないが
残念ながら、人に対して厳しい評価をするほど
自分も厳しく評価され
それが腹立たしくて更に論争へと発展することから
「石けん信者」は自ら立場を悪くするのだと思う

石けんを使わなかったらとても恐ろしい事が起こると脅すよりも
石けんを使って、穏やかに楽しく暮らしている姿を見せる方が
ずっと人に信用されると思うし
実際に、無理なく石けんライフを楽しんでいけるなら
むしろ多くの人がやってみたいはずだ
この15年の間に、わたしは生活の中に石けんを積極的に取り入れてきて
その良さを十分知っている
デメリットはあっても、やはりメリットも大切にしたいから、今でも石けん作りをやめていない

*「石けん生活」の話はもう少し続きます

青春賛歌 | 15:34:00 | Trackback(-) | Comments(2)
青春賛歌第二幕 33~ダイエットを始めよう 4
一昨日には体重の減り方が停滞していると書いたが
昨日の測定では0.4キロ減
今朝は更に0.2キロ減と再び減量が進んでいる
これで合計5.2キロ減となり
54日目にして目標の半分をクリアした(拍手~)

「よくここまでまじめにやってるよね」と言うと
息子は笑いながら答えた
「時々”密輸”とかやってるけどね^^」

”密輸”とは、こっそり飴やガムを買うこと
そりゃあ息子のことだから全く何も間食しないなんてわたしも思ってはいないわけで
それでも菓子パンを2~3個ぱぱっと食べてしまうような無茶をしないところは素晴らしいと感心する
これをやると一気に崩れるので
飴を数個食べるくらいで踏みとどまるのはダイエットが上手くいっている証拠だと思う

修士論文提出まであと8日
すでに大まかなところは仕上がっており
論文発表会の原稿にも取り掛かっているところだが
今週末には休みも欲しいし、ここ3日間が正念場だ

忙しさのピークとダイエットが重なって
ストレスもたまる一方であろう息子にとって
今一番の楽しみは新しい車が来ること

往復120キロの通学を支えてくれた軽自動車はすでに限界に達しており
だいぶ前から3速のギアが入らない
そして、最近になってスモールランプが片方つかなくなり
ヘッドランプも電気系統の故障で時々つかなくなるので
そのたびに配線をつついて何とかしのいできた
修理見積もりは30万円を超え、走行距離はすでに14万キロだし
4月から働きはじめることを当てにして
新しい(といっても中古だけど)車の購入に踏み切ることにしたわけだ
ちなみに今のっている車の下取り価格は「1000円」
これを聞いた息子は
「あの車の価値がトミカ3台分かと思うと何だか悲しいねぇ」と苦笑いした^^;
何はともあれ
幼い時から車が大好きだった息子がついに自分で車を買う
彼にとってもこれは本当にうれしい事だし
多分今週中には来るであろう車のことをあれこれ考えるのが
今一番のストレス発散になっている

「人生楽しく生きないとね」

奨学金の返済に車のローン
先のことを考えれば、決してノーテンキでいられる状況ではないけれど
息子はいつも楽しそうだ
こうして兄が先に社会人になっていく様子を見ながら
心配性の娘も、自分の道を勇気を持って進んで行く

不況が長く続き
暗いニュースが多い中でも
じゃあ実際どうなのかは実際に踏み出してみなければわからない
頭の中だけでただ心配ばかりしてすごしていると
せっかくの若い時代もずるずると過ぎてしまう

世の中に氾濫する情報をどのように受け止め
どのように自分に活かしていくのかによって
各々の生き方は全く違ってくるが
大切なのは、情報に振り回されないことだろう

例えば、前回書いた「食品添加物」の問題にしても
引用した『食品の裏側』については
その内容が「科学的根拠がない」とか「恐怖感をあおっている」とか
批判的な意見もあるようだ
でもわたしとしては
現在許可されている食品添加物が絶対安全とか危険とか
結局のところ誰にも断定できるものではないと思っている
仮に人体に影響があるとしても、そこには必ず個人差があるだろうし
ここで安部氏が示す情報をどのように受け止めるも
それは個人個人で違う問題になってくるだろう
そして、安部氏自身も、自分の本来の目的を以下のように語っている

 『大切なのは、(添加物を用いることの)メリット、デメリットの両方を考えて
  その中で少しでも添加物の入っていないもの、少ないものを選ぶという選択を
  日々していくことにあると思います。
  問題は、消費者がそういった選択ができるよう
  充分な「情報開示」がなされていないという点です』

物事が限度を超えたら、正常範囲内に戻すために「歯止め」が必要になる
限度を超えても「現実を語る情報」がなければ「歯止め」もかけようがない
だからこその情報開示は、どんな分野でも必要なのではないかと思うのだ
その際には、メリットもデメリットも両方とも情報がほしいし
安部氏の話にはその両方が語られているところが良心的だと思う
それによってどの程度の危機感を持つかについては
後はもう個人が自分の場合を冷静に考えて判断すべきだろう

わたしの身近なところでも
一日40本もたばこを吸い続けた人や野菜嫌いで超偏食の人が
元気で長寿を全うするケースもあれば
反対に、自然食にこだわる人がガンになって早世してしまったケースもある

じゃあ、誰もがタバコをいっぱい吸って大丈夫とは思えないし
今回息子も実感しているように
バランスの取れた食事をすると何となく調子がいいというのはあると思う
かと言って、どんなに自然で安全っぽい食品を求めてもキリがなく
それらの食品が体の中でどのように作用するかは未知数だ
何より、そのような食品を手に入れることも
色々と環境が恵まれていなければ難しいわけで、、
そして、あまりにも考え過ぎると人生がだんだん辛くなる
いくら体に良いものを求めても
それが精神的に追いつめられる元となったのでは
かえって健康を害してしまうかもしれない

そういう意味で、色々課題のある「石けん生活」について
次回は書いておこうと思う

青春賛歌 | 23:38:21 | Trackback(-) | Comments(2)
青春賛歌第二幕 32~ダイエットを始めよう 3
4.6キロ減の報告以降
この5日間は体重が増えたり減ったりで
結局プラスマイナスゼロとなっている
それでも
息子は以前から、ダイエットには”停滞期”があることを知っており
それを抜けたらきっとまた減ると思っているため
特に焦ってはいないらしい
こういうきちんとした理論に基づくダイエットは
地道で時間のかかるものではあっても
長い目で見れば安心感があるのが良いと思う

また
修士論文の提出期限まであと10日となった今は
頭も体もしっかり働く程度に
(特に実験中は立ち仕事なので)
必要な栄養はちゃんと欲しいところ
だから、一日1800kcalの制限を更に厳しくすることはしないで
その代り少し筋トレを取り入れ始めたようだ
もちろんそれも無理のない程度で

それと、ダイエットにおいては
体重が減るのと同様に、体脂肪率が減るのも重要なポイントだ
何しろ息子はダイエットを始めた時、体脂肪率が45もあったのだから@@;
予想以上の多さにわたしも危機感を覚えた、、
それが今朝は30.5まで減っていて
もうすぐ20代に突入しそうだと思うとちょっとホッとする
・・・が、これでもまだまだ多すぎでしょう?!
目標はとりあえず25、できれば20まで頑張りたい

息子のダイエット作戦も50日を過ぎ
最近のわたしの頭の中にはいつも「バランス」という言葉がちらちらしている
ダイエットには何かとバランスが重要で
~だけを食べるダイエットとか、極端なやり方では
健康を損ねたり失敗につながりやすい
食事の内容についても
脂っぽいものを好む息子にいきなり脂抜きのような食事ではテンションも下がるし
どこからどこまでが許されるのか「許容範囲」をおおまかに設定し
厳しくなり過ぎないようにして心のバランスを取ることも重要だ
ある程度、「自分の心地良さ」というものは残しておかないと
ダイエットも単なる修行になってしまう
何事も修行では続かない

自分の理想と心地良さのバランス
これを問われるケースは身の周りに案外多い
食の問題で言えば、たとえば「食品添加物」
体に良くないかもしれないとはわかっていても
もはやこれと縁のない生活など考えられないほどに
今やすごい種類の食品添加物が使用されている

昨年、動画サイトで見つけた『食品の裏側』を息子にも見せたが
現在の食品事情はこんなことになっているのかと驚いたり
一方で、こんなに便利な世の中になっているのだから当然かと思ったり
何にしても、全く縁切りするのは不可能だけど
かといって、どうにでもなれ~というのも短絡的だし
自分なりに許容範囲というものはある程度考慮しつつ
バランスを取っていきたいものだと考えさせられた

『食品の裏側』

↑ここに出てくる、”安くて簡単で便利なミートボール”は
わたしも子どもたちが小さい頃は多用していたし
この開発に関わった食品添加物会社の営業マンであった安部氏(『食品の裏側』の著者)が
添加物まみれのその商品を自分の子どもも食べていることを知ってショックを受け
その後、会社をやめた逸話は印象的だった

特に働くお母さんが増えた1980年代以降は
添加物まみれであろうと
安くて簡単でおいしい食品の存在は欠かせなくなった
仮にそれが安全性に疑問のあるものであったとしても
なくては困るという人がたくさんいるのも事実だ
もし食品添加物が使えなければ
あらゆる加工食品も冷凍食品もコンビニも外食産業も存在できなくなる
更には、家庭で手作りするとしても
食材そのものや、スープや出し汁の素、調味料まで
あらゆるものに食品添加物が使われていることを思えば
家庭で作った食事も決して安心安全とはいえない
今や1300種類にものぼる食品添加物の存在そのものが悪いと言ってしまえば簡単だが
欲しい人がたくさんいるから造り続けている現状について語る安部氏の言葉に
この状況の中で
自分の理想(安全安心)と心地良さ(簡単・便利・安価・美味)とのバランスを取りながら
各々が選択していくしかないのだと
そして、それは各々置かれた立場や事情によって全く異なるであろうこと
決して誰がダメで誰が正しいとか判定ができるものではないことも
色々と考えさせられる

息子が4月から入社する会社には
「食」や「農」に関する分野もあって
息子自身はその分野で働くわけではないにしても
ダイエットを通して
”本当の食べ物って何なのか?”そんな興味を持つことになれば良いと思う

青春賛歌 | 16:08:09 | Trackback(-) | Comments(0)
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