利休梅
頂き物の利休梅に初めて花が咲いた
その性質を調べてみると
「寒地に強く 暑さには弱い 成長は比較的にゆっくりしている」
とあるので
気長に花を待つことにしていたが
ついにその時が来たのか~と嬉しくなった
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もうひとつ待っていた花がレンゲ草
母が花が見たいと数年前から種をまいているけれど
芽が出ない~出ても育たない・・・で
なかなか花にまで至らなかった
じゃあ今年何が変わったのかはわからない
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オキナグサ
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梅花イカリソウもふるさとの山からの頂き物
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春蘭
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カンアオイ
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カタクリ
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スノーフレーク
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アジュガ
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夫が育てているボタン
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クリスマスローズ
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ハナニラ
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ローズマリー
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白花ハンショウヅルがもうすぐ咲く
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芝桜が花盛り
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10年続けてきたイチゴ栽培
今年は花つきが良い
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庭つくり2013 | 22:06:27 | Trackback(-) | Comments(0)
オキナグサ
ふるさとの山から持ち帰ったオキナグサが
今年も無事に咲きはじめた
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10年前に初めて持ち帰った株は
土が合わず枯れてしまったが
再びチャレンジしてからもう5年になるだろうか
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ここも随分土がきれいになったのだと思う
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同じく、最初なかなか育たなかった春蘭も
今は元気いっぱい花を咲かせるようになった
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クリスマスローズ
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ムスカリ
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馬酔木
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お庭もだんだん春らしくなってきた
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現在の鉢バラの様子
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道路沿い花壇の様子
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今日は、モミガラを少しずつまき
その後、光合成細菌液と乳酸菌液とワカメペーストを混ぜたものを散布した
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生垣花壇も順調に新芽が伸びている
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寒かった昨年よりも2週間くらい生育が早い
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今季のバラは早めに咲くかも?!

庭つくり2013 | 20:08:32 | Trackback(-) | Comments(2)
青春賛歌第二幕 39~無知の知
このたび、息子は無事に大学院修士課程(=博士課程前期)を修了し
長かった学生生活にピリオドを打った

大学院は、2年間の修士課程と3年間の博士課程があるが
大学院卒の学歴を持つ人のほとんどは修士課程で終わっている
研究の基礎を学ぶ修士課程で卒業することに何の意味があるのかについて
息子から聞いたある教授の話が面白かった

修士課程を学ぶ間に、学生は自分の能力を知り、何も知らないことを思い知らされ
研究者として使いものになるのかどうか、そこで一度ゼロになって考えることになる
みんなある程度の夢やプライドを持って大学院に入ってくるが
それを一度リセットしてしまおうという期間
それが修士課程だというのだ

その言葉通り
すっかりリセットされた息子は
卒業式の前夜、冗談っぽく自嘲気味につぶやいた
「中身が伴わないのに立派なモノ(学位記)をいただいてしまうことになって・・」
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今まで何度か書いてきたように
幼い時から非常に好奇心旺盛で
何でも自分でやってみたくて
「いたずら」と思える「実験」を繰り返してきた息子は
その成長の過程でずっと自分なりに夢を描き
無謀な挑戦をして
夢破れたことも何度もあった

そんな経験をしているからこそ
自分の理想通りに物事は進まないことも
人のがんばりにも(がんばる以前の意欲にも)限界があることも
人一倍知っている

がんばった末の納得いかない結果をどう受け止めていくのかは
青春時代の大きな課題のひとつなのだと思うが
幼い時からたくさん失敗して
その現実をちゃんと自分で受け止めていると
失望する出来事があっても
あまり落胆することもなく切り替えていけるのかもしれないと
息子を見ていてわたしは思う

実際に彼は
「人は失敗するもの・間違えるもの」だと思っている
だから、一生懸命何かに打ち込んでも
理想通りの結果が得られないのは承知の上というわけだろう
それでも、興味があることを見つけては
また熱心に取り組み始める
それによって何か評価を得ようというよりも
ただやりたいからやっているということにすぎないが
彼の学生時代はずっとその繰り返しで
いつも生き生きとして楽しそうだった

このように
興味のあることは実に熱心に探求する息子だから
大学に入った時は、このまま研究者の道を目指すのかもしれないと
わたしは漠然と考えていたし
本人も多分その気があったように思う
しかし、6年間、”真理を探究する”理学の世界に身を置き
後半の2年間で最先端研究の端っこをかじってみて
自分は研究者には向いていないと知るに至ったらしい
「人は間違えるもの」と悟っている息子は
「自分の考え(説)は絶対正しい」と信じて議論する気にはなれないし
何よりそこまでの素養を備えているとも思えなかったからだ

学生時代の最後に
自分は何も知らないのだと知らされた彼は
このたび会社に提出する新入社員のあいさつ文の中に
お気に入りの『無知の知』という言葉を入れた

無知の知とは
「真の知に至る出発点は無知を自覚することにある」とするソクラテスの考え方
                   (大辞林 第三版の解説より)

自分は何でも知っていると思えば
もっと知ろうとする意欲はなくなってしまう
しかし、自分が無知であると知っていれば
真理を知ろうとする思考は停止しない
そういう意味で
自分は何も知らないのだと思っている人ほど
成長する可能性があるということだ

そういうわけで
息子の目下の楽しみは
初めての職場で仕事を覚えることらしい
ゼロからの出発は
彼の子ども時代から変わらない好奇心を大いに刺激している

こうしてわたしは
好奇心旺盛で負けず嫌いの少年が
「希望」と「等身大の自信」を持った大人へと成長する過程を見てきた

これから社会人になる息子に
具体的にどんな将来が待っているのか今はまだ何もわからないけれど
きっと面白いものとなる(面白く過ごす)だろうことだけは確信できる
今まで、例え夢はかなわなくても
その先で行き詰ってダメになったことはなく
どこに置かれても、結果的には幸いを多く体験した彼は
どんな結果の先にも
人の思いを超えた「神の領域」があることを知っているからだ

わたし自身、むかし経験した数々の「悪い出来事」は
かえって今のわたしの幸せにつながっている事があり
そこまでは至らないことでも
少なくともその「悪い出来事」に今わたしは支配されていない

時の流れと共に
良い事も悪い事も、その先の姿は変化して行く
だから慢心しても絶望してもいけないのだと
わたしは子どもたちにこれをずっと伝えたいと願ってきたが
同じ親から生まれた子どもたちでも
それぞれに起こることは異なっており
彼らは全く別の経験を通して「神の領域」を知っていくことになった

今、畑ではブロッコリーの収穫を終え
残った枝葉を土にすきこんでいく作業を行ったところだ
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同じブロッコリーでも
良くできた株もあれば、出来の良くないものもあったけれど
そうした「過去」はすべて一緒に土にもどし
夏野菜栽培という新たな「未来」に備えるべく準備が始まっている
良い過去も悪い過去も
上手く土にもどせば益になるが
やり方がまずいと、土ごと腐ってしまうこともある
土は一度腐るとなかなか元に戻らない
人の心もこれに似ているように思う

わたし自身はこの10年間
土と向き合いながら「神の領域」を知ることになった
人間の思い通りに自然は動かないし
頭で考える理想と、実際に起こることは違っている
わたしは結局何も知らなかったのだと知った時から
不思議なことに、だんだん植物は上手く育つようになってきた
面白い、実に面白い
だから、その先にあるものをもっと知りたいと思うし
そう考えるとわくわくしてくる

3年間続いたこの『青春賛歌第二幕』は
息子の大学院卒業をもって終了し
4月からこのシリーズの最終章『第三幕』を始める予定にしている
期間は娘の卒業までとし
予定通り大学院へ進学すれば3年間となるだろう
そして、最終回のタイトルは今からもう決まっている

「わが青春に悔いなし」

本当は、今回のタイトルにしたかったのだが
息子と娘の両方の思いとして最後までとっておこうと思う

青春賛歌 | 16:07:43 | Trackback(-) | Comments(4)
蕾?ブラインド?
ヘレボラス(クリスマスローズ)がすっかり開き
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ドイツトーヒの下では春蘭も咲きはじめた
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こちらのヘレボラスも満開になり
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クレマチス「ロウグチ」は、しっかりとした枝を伸ばしている
(この倍以上の新芽が伸び出していたが早めに摘みとった)
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バラも新芽の状態を見ながら芽かき作業をしている最中だ
クイーン・エリザベスはこのくらいにしておこう
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一重の黄モッコウバラ(ロサ・バンクシア・ルテスケンス)に蕾が見えてきた
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鉢バラもどんどん新芽が伸び出して 早咲きのルイ14世にはすでに蕾がでている
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ルイ14世
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一枝に新芽2本程度に整理する
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こちらは苦節10年のアンブリッジローズ
10年たってコレなの?!というくらいショボイ苗ながら
これでも昨年からかなり元気になっていて、順調に花も期待できそう
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こちらのピーチブロッサム(同じく10年物)も不調期が長かったが
やっとここになじんでくれたみたいだ
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昨年春はオールブラインドだったジャストジョイ
今年は如何に?
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そして、毎年一番花がブラインドになる確率の高いジュリアとブラックティはどうなる??
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蕾を確認するまでどきどきの日がしばらく続く、、

バラ2013 | 19:20:42 | Trackback(-) | Comments(0)
今年も光合成細菌培養液で
3月は気温がぐんぐん上昇し
バラの新芽も例年より早く伸び出している
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たくさん出てきた新芽を芽かきし
同量の黒砂糖と8倍の水を加え、電気毛布で加温し
今春最初の光合成細菌培養液を作った
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これを今日は100倍希釈でバラの芽を中心に散布する
昨年から使い始めたこの自家製光合成細菌液は
想像以上に効果があったと思うので
今年もこれで行こうと思っている

あとは、10-10-10の化成肥料に乳酸菌培養液と光合成細菌培養液と
たっぷりの水を加え、しばらくおいてできた液肥を薄めてまく
今季最初なのでかなり薄めにしておいた

それにしても
ついこの前まで何もなかったお庭も
次々と春の花が動き出していて
もうのんびりしてはいられなくなってきたわぁ、、(汗

オキナグサ
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ベロニカ”オックスフォードブルー”         ムスカリ
blue2013315.jpg musukari2013315.jpg

プルモナリア”オパール”              馬酔木                
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利休梅にはじめて蕾がついた♪            白花ハンショウヅル
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*****

お花とは関係ないけど
こちらは
昨日、息子がホワイトデーで作った焼きプリン
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カラメルの焦がし具合も、スが立っていないなめらかな仕上がりも
悔しいけど、わたしが作ったのよりおいしかった~

社会人デビューまで約2週間となった息子は
この時期、送別会や結婚式など飲み会が多くてカロリーコントロールが難しいので
今週から『ビリーズブートキャンプ』を始めている
運動系にはほとんど縁のなかった息子が
学生時代をこうしてエクササイズで締めくくるのが面白い^^

バラ2013 | 15:03:02 | Trackback(-) | Comments(6)
青春賛歌第二幕 38~青春のメロディ
先月末、娘たちのグループは
大学近くの老人病院で恒例の院内コンサートを行ったが
今回初めて「東京ブギウギ」「青い山脈」「銀座カンカン娘」「バラが咲いた」など
昭和のナツメロを選んで歌ったところ
思いのほか大好評だったようだ

これまでは、童謡や唱歌を歌うのが定番で
今回も前半はそういうものを選曲したけれど
この手の歌はお年寄りにとっては懐かしすぎて
泣き出してしまう人が続出するのが
歌っている側にも結構つらい、、、

しかし、後半のナツメロになると雰囲気は一気に華やいだ
特にみんなが喜んだのが「青い山脈」
これは自分たちの青春時代の歌だよと口々に話しながら
いつしかみんなで大合唱になっていく
この反応は娘たちにとっても非常にうれしいものだった

人は一生の間に色んな曲を聞き
各々好き嫌いはあるにせよ
自分が若くて元気だった青春時代の歌は
いつまでもその人を元気づけてくれるのかもしれない

今月末には
今度は老人ホームからの依頼を受けているので
そこでもまた青春のメロディを取り入れる予定だ

さて、先日は門下生の発表会があり
娘はこの前の試験で使った曲を2曲歌ったが
下の曲は、試験の時には気合が入りすぎて
一部思うように歌えなかったところがあるので今回リベンジ

オペラ『リタ』より/G.ドニゼッティ(動画が表示されない場合は題名をクリック)



もう一曲は
娘はやや苦手としていた日本歌曲からの選曲
試験では橋本国彦の「お菓子と娘」「斑猫」の2曲を歌ったが
ここでは「斑猫」の方を歌った

斑猫(はんみょう)という虫をわたしは見たこともなく
検索してこんなカラフルな姿をしている事を知る(wikipediaより)
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だが、何よりもこの曲自体がすごく変わっていて
わたしも娘も最初の印象は「うわぁ~変な曲?!」だった・・・が
間違いなく娘に似合った曲だろうとも思う^^

それにしても、この前の試験では
全16曲(計45分以上のプログラムが規定)を歌う中
この曲を最後にもってくる先生の方針もすごいと思った
他の人がまず歌わないであろう曲で最後をしめくくる
それは娘の個性を際立たせるものとなっただろう

斑猫/橋本国彦(動画が表示されない場合は題名をクリック)


来月は
尾道市立美術館でのコンサートがあり
久しぶりに『カルメン』を歌うつもりのようだ
高校3年の合唱祭の時、大ホールで1000人の前で歌ったあの歌は
あれからずっと「恥ずかしくてやり直したい」と言い続けている曲
あの時はあれが精一杯で
わたしは今でも十分良く頑張ったと思っているけれど
娘の中では色んな意味で思い出深い青春のメロディでもある

10日後には
高校の吹奏楽部の定期演奏会があり
娘は今年も司会者として呼ばれている
その中で今回は合唱にも参加するとのことなので
音楽の先生や当時の仲間たちに
あの頃よりも成長した自分を見てもらう機会もあるかもしれない


青春賛歌 | 16:25:34 | Trackback(-) | Comments(2)
青春賛歌第二幕 37~すべての山に登れ
6日、ミュージカル同好会による『サウンド・オブ・ミュージック』があり
娘は修道院長の役で出演した
メンバーは、昨年みんなで福岡まで劇団四季の公演を見に行って
それぞれの役作りの勉強をしたが
娘の修道院長は
その所作から雰囲気から実にハマっていて
後で周りからも「修道院に就職したら?!」と言われたという(笑)

(絵の得意なメンバーによるパンフレット挿絵がかわいい)
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本人が一番楽しみにしていた「すべての山に登れ」を歌う場面
(再生されない場合はこちらをクリック


一番最後の場面でも、娘が最前列に立ち
みんなと一緒にこの歌を歌ったが
娘にとっては
音楽の道に進もうと決めた日から今日まで
たくさんの山を越えてきたことを思うと
随分感慨深いものがあっただろう

音楽が好きだから、自然に努力はしてきたけれど
その山々は決して自分の頑張りで越えたのではなく
気がつけばいつもチャンスに恵まれており
無理なく開かれた道を進んできて今日がある

小学6年の時、市民オペラに参加させてもらい
こんな舞台にこれからも立てたらどんなに幸せだろうと夢見つつも
現実を考えれば遠い夢でしかないと思えたあの頃・・
それでも、中学2年の発表会で歌ったイタリア歌曲を聞いた時
わたしはこのまま娘が音楽から離れた道に進学することが惜しいと思った
今思えば、わたしはあの頃から娘の歌のファンになっていたのだろう
それからは、娘の進路を考える際には
いつも音楽という選択肢が頭の中にあった
そして、自由選択制を導入した公立高校に入学して音楽を中心に学び
そこで出会った先生や友人に刺激を受けて
いよいよ本格的に音楽の道へ進みたいとの気持ちも強くなっていく
高校3年の時には
奨学金ですべての学費をまかなうことを前提に音大に進学することを決意
そこは、学生のレベルに合わせた試験を受けるカテゴリー制度をとっており
入学当初は、一番下のレベルからスタートした

当時のことを振り返ってみると
「音大なんか出ても就職はない」と言われる世の中で
とりあえず4年間音楽に集中することしか考えず
多額の奨学金を背負って
よくあの小心者の娘が平気でいられたものだと思う
それほど、好きな道を歩むことは
人の心に確信と勇気を与えるのかもしれない
自分の道はこれしかないと、、、

それから3年間の記録は
この青春賛歌第二幕の中につづってきたが
書ききれないほどの喜びと不安とチャンスと感謝があふれる日々の中で
娘は確実に大切なものをつかみ、大きく成長した
そして、このたびの試験で
ついに特待生として学費免除を受けることが認められるまでになったことは
世間の常識からすれば 特にこの不況のご時世に
将来の約束もない不安な道を歩んでいるようでも
娘にとっては神さまから与えられた正しい道を歩んでいるのだと
改めて確信させられるものであった

今は来年の大学院への進学も視野に入れつつ
たちまち4月末まで詰まっているコンサートの準備に忙しい
ひとつひとつの演奏の機会を丁寧にこなしていくことで
「次もお願いします」と声をかけてもらうことが
活動を続けていくためには何より大切なのだ

このたび、コンサートのパンフレット用に
はじめて写真館でポートレート写真を撮った
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わたしが若い頃には知らなかった「神の領域」というものを
娘はすでに知っており
自分の頑張りによらない、気負わない自信と
まだ見ぬ未来に限りない希望を持っていることが
その表情からうかがえる

青春賛歌 | 23:59:04 | Trackback(-) | Comments(2)
いいかげんな話 6~Let go and Let God
さまざまな不安障害と戦う時の相手は「不安」という漠然とした存在であり
それに対抗する「安心感」を得るために
自分自身に「自信」をつけようと
自分の基準では危険と思える行動をあえて取るという「思い切り」も必要になる
言いかえれば、この「思い切り」がなければ先へ進むことは難しい
(以上昨日の記事より抜粋)

さて、不安障害の「不安」と向き合うために
認知行動療法を取り入れるとして
そこで誰かに手伝ってもらったとしても
最後にどうしても必要な自分自身の「思い切り」つまり「勇気」について
それがどこからやってくるのか?
あるいはどうひねり出すのか?
結局ここがわからなくてみんな悩んでしまうのではないだろうか?!

そんなの「えいや~!」といってやればいいじゃないか、、
と無責任なことを言う人もいるのだが
かつて20年間も『強迫性障害』をもっていたわたしは
人に長年とりついた不安は
「えいや~!」の掛け声で何とかなるような代物ではないことを知っている

出かける際、戸締りや火の元を何度確認しても心配で心配で
無駄な時間ばかりを費してしまう日々の中
いっそのこと出かけなければ心配もないだろうとまで思うようになったが
更には「数へのこだわり」も加わって
不安はますます増えるばかりだったことを思い出す

くわしくは『神経症との戦い』参照

結局、20年も悩んだ強迫性障害から逃れるきっかけは
一言でいえば
どんなに完璧を望んでも「自分には力がない」ことを悟ったからだ
その時わたしは必死で保っていたプライドを手放した

今回のタイトルであるLet go and Let GodのLet go は
「手放す」「リラックスする」という意味がある
そして Let God は「神にまかせなさい」

わたしは恥ずかしながら
すでにクリスチャンであったはずの18歳から38歳までの20年間
「神の領域」というものを理解していなかったのだと思う
そういう考え方そのものが
わたしが育った家には伝わっていなかったからだろう
多分、日本の多くの家には
「頑張る文化」が伝わっているのではないだろうか

力のないただの人間であるにもかかわらず
失敗のない人生を自分の頑張りで作るのだと考えていたあの頃・・
そうすることで不安から逃れようとすればするほど不安はついてきた

人は、分を超えた理想に惑わされて
「神の領域」に踏み込もうとする時
そこに得体の知れない不安が生れてくるのかもしれない
そして
認知行動療法が欧米で効果をあげ、広く普及しているのも
そこに「神の領域」という前提があるからこそ可能なのではないかと思う

人生は、頑張っても理想通りにいかないことばかりだけど
それでも各々自分のできる範囲で
とりあえず前を向いて進んで行きたい
その先に何があるのかは「神の領域」なのだから

本当の未来は誰にも見えない
不安を持って見る未来には不安が見え
希望を持って見る未来には希望が見える
わたしは希望を選びたい
                     (つづく)

心の問題 | 23:06:56 | Trackback(-) | Comments(0)
いいかげんな話 5~心のダイエット
心の問題が関係しているであろう体の異変については
前回書いたような痛みの問題以外にも
「体の一部が動かない」あるいは反対に「動きが止められない」など
運動機能障害の問題がある
これが脳の異常によるものならば検査すればすぐわかることだが
どんなに調べてみても何も出てこないとなれば
何らかのストレスによる体の変調(心因性~)との診断が下るのが今は一般的だろう
こちらのケースは目に見えるので
痛みのケースのように、医師から変に疑われないですむが
当事者の苦痛は、当然計り知れないものがある

さて、心の問題から来る体の異変には
一般的な病気とは明らかに異なる部分がある
前回のリンクページ「うつの痛み」にも記されているように
”痛みの部位が動いたり、1日のうちで痛みの強さが変わったりすること”は
体のどこかが実際に壊れている場合にはまずなさそうだ
そして
何かに夢中になっている時に痛みが軽減するというのと同様に
運動機能障害の場合も
ある特定の行動をする時だけ、動きが正常に戻る場合がある
その”ある特定の行動”については
周りが気づくか、もしくは自分でも意識していればわかるが
どういう行動をしている時に痛みや運動機能異常が軽減するのかを把握しておくのが第一歩
そして、その時どんな心理状態であるか(心地良いとか楽しいとか)
反対に、どんな心理状態の時に悪い症状が出るのかを把握するのが次の一歩

こうして、自分の行動と心理状態と体の関係を知り
意識して心地良い方を積極的に選んで行動するのは
うつ病や不安障害に効果があるとされる『認知行動療法』で用いられる手法の一つだ

 認知行動療法について(国立精神・神経医療研究センターHP)はこちら
 (以下緑字部分抜粋)
 悲観的になりすぎず、かといって楽観的にもなりすぎず
 地に足のついた現実的でしなやかな考え方をして
 いま現在の問題に対処していけるように手助けします
 認知療法・認知行動療法は、欧米では
 うつ病や不安障害(パニック障害、社交不安障害、心的外傷後ストレス障害、強迫性障害など)
 不眠症、摂食障害、統合失調症などの多くの精神疾患に効果があることが実証されて
 広く使われるようになってきました


だが、”意識して心地良い方を積極的に選んで行動する”と聞くと
なんだ、それなら一日中好きなことして遊んでたら良いってこと?!=簡単じゃないか
と思われそうだが
それはあくまでも一部の人の思考に過ぎない
適当に好きなことして気晴らししながら程々にハッピーでいられるような人は
この手の病気にはなりにくいからだ
そもそも、うつ病や不安障害に苦しむような人は
一日中遊んで過ごすなんて自分に許すはずがないし
それどころか、自分の中にいちいち厳しいルールがあって
わずかに変えることも不安でたまらないのだから
1か0か思考の堅い心を少しずつでもゆるめて
体の緊張を「好い加減」にほぐしていくことが当面の目標になる
かと言って、真面目だった人が妙な遊びを覚えて道を踏み外し・・・ということもあるので
行き過ぎない「好い加減」は非常に重要だ

認知行動療法は
親から受け継いだり、別のところで影響を受けた思考や価値観の中で
間違いだったり、歪んでいる部分を
少しずつ整理しながら捨てていく「心のダイエット」のようなもの
過去の負の遺産をためこんで乱れた心が一度リセットされ
新しい自分に生まれ変わって生き直すことができるように導く手法でもある

ただし、かなり効果があるとされるこの療法であっても
自分だけでどんどん受け入れていける人は少ないだろうし
本気でサポートする公の体制も十分ではなく
本気で向き合おうと思ったら、一人当たりに膨大な時間がかかる現実がある
それほど、ひとりの人を変えるのは難しい事なのだ

さまざまな不安障害と戦う時の相手は「不安」という漠然とした存在であり
それに対抗する「安心感」を得るために
自分自身に「自信」をつけようと
自分の基準では危険に思える行動をあえて取るという「思い切り」も必要になる
言いかえれば、この「思い切り」がなければ先へ進むことは難しい
それを自分だけでやるのは至難のわざだろう
周りに「大丈夫」と言ってくれる人がいて
少しずつ「そうかな・・」と思いつつ進んでみる
ちょっとずつ、ひとつずつ
だが、この気長な作業に付き合ってくれる人がどのくらいいるだろうか
そして、何よりも自分をどうやって思い切らせるのか
そこが究極の問題点になる
                   (つづく)

心の問題 | 23:33:11 | Trackback(-) | Comments(2)
いいかげんな話 4~不思議な病気
世の中には
どんな大きな病院で精密検査を受けても
原因も病名も治療方法もわからない不思議な病気がある
だが、それを患っている当人にとっては
わからないではすまされない深刻な問題だ
どこかに自分を救ってくれる病院があるのではないかと
病院のハシゴ(別名ドクターショッピング)を繰り返し
ほとほと疲れ果てて・・・というケースは
今かなり多くなっているのではないかと思う

というのも、こんな田舎の教会にいても
不思議な病気の人に出会うのは珍しい事ではない
かく言うわたしも3年前から
”寝ると自然に足が固まってしまう感じで
とにかくいつもふくらはぎと足の裏がカチカチに固まっている”という
多分「むずむず足症候群」らしいものを患うことにより
(2011年9月20日の日記参照)
そのメカニズムを自分なりに理解し、克服していくうちに
このような不思議な病気は
現代人は誰でもなりうるものだと実感している

わたしの場合、苦痛は寝る時が多く
起きて活動している間は足もゆるんでくるのでまだマシだった
だが、これが一日中続き、なおかつひどい痛みを伴うものとなれば
問題は非常に深刻になる

原因不明の痛みと戦う人は
奇妙なことに、普通の人なら効果のある鎮痛剤も効きにくい
だから、痛みそのものを抱えているだけでも大変なのに
従来の痛みとは違うこの症状を理解してくれる人(医師や家族など)がいないことで
苦痛に絶望感がプラスされていく

実際のところ、医学マニュアルにないものに対して医師は理解がない
というか、どう理解したらいいのかわからないので
その先の対処は、その医師の勤勉さや人間性によって方法が変わってくるわけだ
必死で痛みを訴えても、ひどい場合は、「神経質」「頭がおかしい」でおさめられ
精神科を紹介されて行っても、精神安定剤が出て終わる
更には強い向精神薬へと移行し、薬の副作用で日常生活もまともにおくれない・・と
事態はどんどん深刻化してしまう

わたしはここ10年ほど、そういった原因不明の痛みを持つ人々と向き合いながら
この手の痛みは
その人の生れや育ちからくる心の問題が影響していることを確信している
この問題は育った時代背景や環境によってもさまざまだが
何より親の持つ考え方や価値観、生き方の影響が大きい

現在、うつ病の問題が深刻化する中で
医学界も心の問題と体の異変の関係について
ようやく本気で向き合わなくてはという方向になっているようだ

『専門医が語る、「うつの痛み」とは?』

上記リンクページの記事は「うつ病からくる痛み」について解説しており
人は、「異常なし、原因不明」と言われて突き放されるよりも
こうして原因がわかることで少し安心するのだということも記されている
そう、この類の痛みには安心感(心の平安)が何よりの薬になるのだ

興味深い事には
原因不明の痛みで苦しみ
薬を飲んでも、寝て安静にしていても一向に楽になることがない人でも
自分が好きなこと、夢中になることをやっている間だけは
不思議と痛みから解放されるという事実がある
わたしはこの事実に気づいた当初
申し訳ないが、この人の痛みって変よね?!と思った
この様子を見たら、痛いと訴えていること自体がウソだとも思えてしまうからだ
でも、この類の痛みを訴える人にはまじめな人が多く
決してウソを言っているわけではないこともよくわかる
ただ本人は、自分が好きなことをしている時だけは元気だと気づかないので
周りが教えてあげなければならない
この類の痛みの克服は
まず状況を外側から客観的にみることが第一歩になると思う

というわけで
心の問題から来る痛みの克服は、基本的にひとりでは難しい
そこには、自分を客観的に見てくれて
なおかつその心に寄り添ってくれる人が必要になる
わたしはそれが家族であれば理想的だと思うのだが
残念ながら家族はその人と心の構造が同類であるか
もしくは反対に理解不能なあまり無関心な場合もあり
あるいは、どうすればいいのかさっぱり分からず
なかなか「心に寄り添う人」になれないかもしれない
また、仮にそのような人が身近にいたとしても
本人に受け入れる気持ちがなければ事は進まない

人は、自分を否定しない、同じ考えを持った人を求め
その中にいる事で安心感を得ようとする傾向がある
これが行き過ぎれば、イエスマンだけを周りに置く「裸の王様」と同じになり
そうなってしまうと
自分の中の問題点を誰も指摘してくれないのが困りものだ

同じ考えを持った親子はお互いに共感しても
考えの違う環境で育った夫婦は共感できないことが色々あるだろう
だが、その時、自分の考えと違うからと拒絶してしまったら
自分が変わるチャンスを逃してしまうかもしれない
かといって、極端な自己否定に走るのは危険だ
うつ病になりやすい人の多くは「1か0か(有るか無いか)思考」を持っており
そこを「好い加減」に崩すことが必要になる

わたしたち夫婦は今月20日に結婚29周年を迎え、いよいよ30年目に突入するが
わたし自身、親から継いだ狭い考えが大きく広がったのは
夫による影響が大きい事を今あらためて感じている
性格の不一致で離婚する夫婦は多いけれど
もしかすると、もったいないことをした夫婦も多いのではないかと思うのだ
自分の考え方が少し広がれば(自分が変われば)相手を受け入れることもできただろうし
そうなれば自分にとっても得るものがあり、結果的には良かったかもしれない
変われない古い自分のまま、イエスマンの中で生きるのは楽だけれど
変わるべき部分がやがて病巣となっていくとすれば
早いうちに発見し、取り除く努力をすることが望ましい

                        (つづく)

心の問題 | 11:47:21 | Trackback(-) | Comments(2)
いいかげんな話 3~1か0か(有るか無いか)思考
「病気をきっかけに、自分は周りに対して優しくなったと思う」
病気なんて誰も好んでなりたくはないが
こんな話を聞くことは、けっして珍しい事ではない

この言葉の意味するところはいくつかあって
一般的によくあるのが
病気を通して人の痛みを知り、自分の弱さも知ることにより
人間として丸みが出たというもの
弱い人への思いやりが生れるのは、その人の心が成長している証だ

また、ちょっと違うケースでは
自分の病気を気にする余り、周りへのおせっかいができなくなり
結果的にあれこれうるさく指図しなくなったというのもある
特に、世話好きで何かと手を出したくなる人や
心配性でついついあれこれ言いたくなる人の場合
こうして強制的にブレーキがかかることもあるらしい

先日も
病気を通して「行き過ぎた自分」に気づいた人の話を聞きながら
ここに気づける人は幸いだと思った
これまで人のためになると信じてやってきたことが
単なるお節介だなんて知るのはショッキングだけど
結果的に、自分も周りも楽になるなら
気づけて本当に良かったと思う

更には、病気になることで、周りの人々の優しさに気づくことも多い
がむしゃらに走っている時には見えなかった大切なものが見えるようになったと
そこから得るものの大きさを思うことで
病気とも穏やかに向き合っていけるのだという人は
病気を、単なる悪ではなく
うまく付き合っていく相手と見なしているのだろう

実際に
大きな病気を持ちながらも前向きに生きている人の姿は
周りの人に勇気を与えるものだ
本人にとっては
それは仮に「あきらめ」から出ているものだとしても
結果的に人の役に立つのは素晴らしいことだと思う
ましてや
病気を通して何かつかむものがあるなら
病気=不幸の元とは決して言えないし
その経験を伝えることは
病気だからすべてがダメになるわけじゃないのだと
周りに安心感を贈ることにもなるだろう

「この人と一緒に居るとホッとするよね」
と言われる人の共通点は
周りに安心感を与える何かをもっていることで
それは自分の中に「好い加減」の思考のゆるさを持っているところから
自然に生れてくるものなのだと思う

そして、この「思考のゆるさ」とは
言いかえれば「許し」であり
自分で決めたシナリオ通りに人生が進まなくても
別のシナリオもありなのだと、思考の幅を広げることができれば
それが心の成長にもつながっていくだろう

教会には、何か問題が起こることでパニックに陥った人がよく訪れる
普段、「思考のゆるさ」を持たずに生活している人ほど
その狭い思考の範囲から外れたことはすべて”この世の終わり”に匹敵するレベルに思えるので
この考え方が自分を追い詰めていくのだ
これを一般的に「1か0か(有るか無いか)思考」と呼び
「中間」というあいまいでゆるい考え方のない、潔癖で完全主義の人がこれに相当する

わたしは、かつて自分もそんな生き方をしていた時代があるので
そういう人の持つ「生き苦しさ」のシステムを知っている
なぜ苦しいのか
それは、この世に完璧がないのに、いつまでも完璧を求め続けているからに他ならない
では、苦しいのになぜいつまでもやめられないのか
それは身近にこの苦しさを克服した見本がないからだ
というのも
そもそも人の思考の原点は親にあり、親は更にその親から同じような思考を継いでいる
一番身近にいる人から教わったことは
ちょっとやそっとでは変わらない
もし、自分が悪い事をしているならば
人は(良心をもっていれば)それをいつかは止めたいと思うだろう
だが、完全主義で潔癖の人は基本的に良い事をしている
悪い事は止めやすくても、良い事を止めるのは容易ではない
これまでも、石けんの話や母乳のことなどで書いてきたように
これが完全に安全で正しいものと信じているからこそ、それを止めるのが難しいのだ

わたしの母も「1か0か思考」傾向のある人だが
それでも、母乳問題の時にはわたしに安心感を与えてくれた事を思うと
すべてにおいて「1か0か思考」ではないのだろう
そしてわたしは、わたしと同様にこの思考傾向を継ぐ娘に対して
更にゆるく接している
そうでなければ、娘はいつも緊張してパニックに陥りっぱなしになるかもしれないから

娘が生まれつき持っているらしい「耳管狭窄症」は
それを治す薬も対処する方法もなく
時々鼻の下に手を当てて「耳抜き」することで音が聞こえるように自分で調整するしかない
娘が歌う動画では、たいていその様子が映っており
格好が悪いので止めたいのだが
今のところはこれしか耳管が開く方法がないのだ
そんな悩ましい病気ながら
これが体の緊張と密接な関係があることはわかっている
体がゆるめば、耳管は開いて聞こえやすくなり
そのためには、まず心がゆるむことが必要になる

どんなに医学が進歩しても
世の中には原因も対処方法もわからない病気がたくさんあって
どんなに検査しても病名すら分からない病気を抱えた人が
最後にわらをもすがる思いで教会を訪れる
そういう意味で、教会に居ると不思議な病気の人に出会う機会があり
そのたびに、人間てやっぱり絶対完璧ではいられないのだと痛感するのだった

                      (つづく)

心の問題 | 15:37:57 | Trackback(-) | Comments(0)
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