青春賛歌第三幕 15~地元デビュー
このたび、地元の商工会主催のお祭りにステージ参加を依頼された娘は
1年生の時から植物園でのコンサートに出演してきたメンバーに打診し
すでに他の演奏予定が入っている一人を除いた5人体制で
『夏のコンサート』とほぼ同じ演奏曲目で準備を進めていた

しかし、こういう活動にハプニングはつきものだ
直前になってもう一人が体調を崩し不参加となったため
曲目を一部変更するなどの対応にギリギリまで追われつつ
それでも普段から
「どんな事があってもできるだけのことをするよ~!」と覚悟を決めている彼らは
実に元気でのびのびとした演奏を聞かせてくれた
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娘以外のメンバーは、ここ旧大野町という地に来たのは初めてで
演奏するのも楽しかったし
商工会による地元食材を使った料理も美味しかったし
くじ引きでは焼肉セットが当たって大喜びしたり
(来週の植物園でのコンサートが終わったらこれで打ち上げパーティーをするらしい)
すっかりこの地が気に入ったようだ
だから、ステージ終了後に
11月の文化祭のステージ参加依頼を受けた時には
みんなで「出ます~~♪」と即決
かくして娘にとっての地元デビューは和やかな雰囲気のうちに終了したのだった

さて、ホッとしたところで以前から気になっている「親知らず」を抜きに
今日は朝から歯医者へ行く娘、、
抜歯後の痛みや腫れの影響を考えると
本番が近い時では行きにくい・・・と思っているうちにどんどん日が過ぎてしまい
とりあえず植物園のコンサートまで一週間ある今日なら大丈夫だろうということで決行
幸い今回は上の歯だし、早めに落ち着きそうな感じだ
一方、難関の下の親知らずは
何かと予定が詰まっている10月が終わった段階で抜きに行く予定にしている

今日で9月も終わり
コンクール本選まであと2週間になったが
先週は、美術系大学に進学した高校時代の友人から
手作りのペンダントが送られてきて
昨日のコンサートでも娘はそれを付けてステージに上がっていた

そうそう、先日ドレス用にトルソー(胴体マネキン)を購入したので
紫のドレスに似合うようにと友人が作ってくれたレジン(透明樹脂)のペンダントも
一緒に着けて撮影してみる
デザインは娘の希望で最もシンプルなものにしてもらった
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繊細で微妙な色使いが美しい
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分野は違えど同じ芸術の道を歩む仲間のこうした心づかいに
娘も随分はげまされていることだろう

*****

紫つながりで、秋色に向かう「ブルー・バユー」を・・
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青春賛歌 | 22:03:16 | Trackback(-) | Comments(0)
オカワカメ
この春、ネットで「オカワカメ」なる健康野菜情報を見つけた母は
早速、種を取り寄せて育ててみることにした

<オカワカメ>
ツルムラサキ科アカザカズラ属
南アメリカの熱帯地域が原産とされるツルムラサキ科のつる性植物の葉で
正式な和名は「アカザカズラ」、別名「雲南百薬(ウンナンヒャクヤク)」
葉酸や必須ミネラル(マグネシウム、カルシウム、亜鉛、銅)
ビタミンA(ベータカロテン)を多く含み、栄養価が高い

4月
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7月
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厚みのある葉は、ゆでるとワカメのようになり
こういう健康野菜って妙なニオイや味がしそうよね・・・
とおそるおそる食べてみると
これが意外と普通というか、いや十分おいしいよ~♪

調べてみると、「青臭い」「まずい」「苦い」という感想もあるので
うちのように無肥料栽培だと味が違うのかな?!

そんなオカワカメに花が咲きはじめた
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繊細な花がかわいい
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アップにすると・・・おぉぉ~これは美しい!
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さて、バラもぼつぼつ咲いていて
ルイ14世も結構いい色になってきた
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ヘリテージ
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まだ日中の気温が高すぎて一日で散ってしまうけど・・
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退色したディスタントドラムス
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ジェネラスガーデナー
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庭つくり2013 | 20:01:10 | Trackback(-) | Comments(2)
いいかげんな話 10~ 熱さの行方
先日娘が参加した合唱の指揮担当の先生は
わたしの高校時代の先生であり
その事が伝わった関係で
先生が新任だった時代の思い出話が始まった

あれはわたしが高1の時、ほとんど女の先生ばかりの中高一貫女子校に
7人の男の先生が入ってきた
先生曰く「あの時は生徒が沸き立ったもんだよ~」
そんな懐かしい時代の話を娘から伝え聞きながら
確かにあの頃教師陣に変化があったことは覚えていても
少なくともわたし自身はちっとも「沸き立って」はいなくて
だってわたしはあの頃ロックにしか興味がなかったからね~と思わず笑ってしまった

先生の話はさらに続く・・
当時職員室の先生の机には
ファンの子が毎朝新しい花を持ってきて飾る習慣があり
新任の先生にはそれが驚きであり
随分もてはやされて楽しかった
こうして女子校ならではの華やいだ雰囲気がある一方で
非常に冷ややかな連中がいて
どうやって先生に反抗してやろうか、校則を破ってやろうかという
抵抗勢力の勢いにも圧倒されたが
あの当時の生徒には「何かやってやる」という「熱さ」があって
自分が指導している合唱部にもそれを感じていた
それに比べて今の生徒はとてもおとなしく
校則も破らない(破ろうとしない)が
何かやってやるという気概や熱さも昔のようなものを感じない、、

この話を聞きながら
まさにわたしも友人もみんな抵抗勢力側だったよと
大笑いして娘に話したが
ちょうど先月、10年ぶりに同窓会に参加して
友人たちとそんな話をしたばかりだったから
「熱さ」の中には随分「愚か」なものもあることを
今さらながら思い知らされている

今思えば、あのエネルギーを
もっと益になることに向けたら良かったのだろう
お堅い学校の体質が嫌いで
何かを変えたいとは思っていても
明確な計画は何も持ち合わせてはいなかったから
結果的に抵抗は何も生み出さず終わって行った
いつの時代も若者は
古い考えに固執する頭の固い大人が嫌いだが
その一方で
自分が何か上手くいかないイライラもついでに大人のせいにして
八つ当たりしていた部分もあるような気がする

また、「抵抗」という行動は
理不尽な状況から逃れるためには必要な事ながら
それが行き過ぎると
抵抗することそのものが楽しくなってしまうことがあるので
その辺は、ちょうどいい加減にバランスがとれるよう
注意しなくてはならないと思う

うちは教会だから、基本的にケンカはお勧めしないが
”めくらの子”と呼ばれて理不尽ないじめにあった夫の子ども時代を思うと
むかし夫が幼い息子に
「一つ殴られたら三つ殴り返せ」と教育したことを間違いとは思わない
色の白い息子は、小さい頃は女の子のようだったから
外見で侮られることを心配したのだろう
ただし、夫の言葉には続きがあった
「やられたらやり返すが、自分からケンカをしてはならない」

相手が弱いと思い、あなどっていじめてくる輩は
思わぬ抵抗を見たとたん
こいつは何をするヤツかわからない・・と恐れて、もういじめなくなる
人間は本能的に自分より弱い者をいじめるので
得体のしれない強さを示した者は敬遠するようだ

そんな経験をしている夫は
しばらく我慢した末、いじめっ子にやり返すことで戦いに勝ったが
だからといってそれ以上相手をやりこめることはしなかった
本当はそれまでの恨みを晴らす行動に出ても不思議ではなかったと思うのに
あくまでも
「やられたらやり返すが、自分からケンカをしてはならない」
という考えに徹したのは
「いつもケンカをしていると
そのうち自分が強くなった気がしてケンカが楽しくなってしまう」
つまり、自分が思いあがってしまうとの理由からだった
また、本当は弱い自分をケンカによって強く見せようとする
いわゆる「いきがる」ことも嫌いだった
わたしよりも10歳年上の夫の年代にはケンカがつきものだったから
実際にそういう人を色々見てきたのだろう

折しも、夫の大学時代は
『学生運動』の時期と重なっている
その様子を間近に見て、意味を感じなかった夫は
上級生から呼び出されても決して従わなかった

確かに昔の若者には、はかり知れない熱さがあったが
各々の根底にある思いによって
熱さは単なる迷惑行為にもなっていく
どんな時代にも人生は思うようにはいかないものだ
そこで起きてくる不満は、怒りと恨みを生み
その負の感情をエネルギーとして起こす行動には
新たな問題が付きまとう

わたしが中高校生だった頃
ロックはまだ不良の音楽というレッテルを貼られていた
その内容が反社会的であったり
音楽そのものも音が大きく
暴力的であるとのイメージもあったからだが
わたしが一番好きな1970年代の英米ロックは
斬新な発想と、その高い音楽性が
今も世界中で支持され続けている
実際に、普段あまりテレビを見ないわたしでも
何がしかのBGMで懐かしい曲に遭遇することは多い

今思えば、まだ年若いミュージシャンたちが
あれほどの音楽を生みだしたことは奇跡のように思えるが
道に迷い、迫害にあい、ある者は酒や薬物に溺れながら
それでも彼らがずっと追及したのは
常に新しい音楽を生みだすことだった
こうして反抗の音楽であったロックの世界は
最先端の電子楽器や、珍しい楽器を自由に取り入れ
クラシックやジャズ、果ては民族音楽まで取りこみながら成長し
それまでになかった新しい文化を生みだしていく
そこに多くの人々が感動し共感し
今や音楽の教科書にまで採用されるに至るほど
ロックを無視して音楽は語れない時代になっている
そして、ミュージシャンにもたらされた富と名声は
やがてチャリティー活動という形で社会に還元されていくのだった
それは単に石を投げて抵抗するよりも
後の時代に確実に意味のあるものを残すことになったと思う

*****

今朝、母が畑にブロッコリーの苗を植えていた
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従来農法ではない新しい栽培方法を求めて10年
試行錯誤ばかりで、これといった素晴らしい成果があるわけではないが
新しいやり方を模索する日々は面白く
ともすればマイナス思考に陥りがちな母を
プラスの方向へ導いてくれている

心の問題 | 23:15:57 | Trackback(-) | Comments(0)
秋の庭へ
台風が過ぎ、今朝の気温はいきなり15度まで下がった
抜けるように青い空の下
一度切り戻した西洋ニンジンボクが返り咲いている
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過酷な猛暑を乗り越えた庭では
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至るところで青い小花が満開に・・
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その青い花はコノクリニウム
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キンミズヒキ
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鉢に咲くイヌタデ
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ヤブラン
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ミニザクロと
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コムラサキ
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庭つくり2013 | 19:30:00 | Trackback(-) | Comments(0)
いいかげんな話 9~幸福度
昭和36年(1961年)生まれのわたしは
高度経済成長期と共に成長し
”努力さえすればどんな夢でもかなう”
”苦労すれば後で良い事がある”
といった教えの影響を受けてきた世代だ
しかし、半世紀を生きてきて思うのは
求めるもの(生き方の方向)を間違えると
せっかくの努力も苦労も良い結果につながらないということ、、

あのころの日本は
人よりも優れた自分の姿を夢見ることが主流だった
人生が計画通りに進むものだと信じ
みんな自分なりに頑張って生きてきたのに
今そういう人々が年を取り
「あれもこれも思うようにいかない」と嘆く姿に遭遇するたび
努力と苦労の神話が崩れていくのを、わたしは実感している
いや、嘆くだけならまだいいが
ストレスから神経のバランスを崩し
やがて深刻な病気にまで至ってしまうのが本当に怖いと思うのだ

自分の努力や頑張りで上を目指しても
いつも上には上がいて
それがどこまで追いかけてもきりがなく
いつまでも満足感も幸福感も得られず
やがては競争に疲れてきた頃には、年をとった自分がいる
すると今度は、自分の思うように動くこともままならず
「こんなはずじゃなかった」と嘆きながら人生が終わるのでは
何と空しく、もったいないことだろうか

自分の誉れで自信を得ようとしなければ
もっと穏やかな気持ちでいられただろう
人と比べないで生きることの大切さを
生まれながらに教育されていれば
自然とそういう生き方もできただろう
そんな人が周りにたくさんいて
見本の姿を見せてくれたら気づけたかもしれない

先日発表された国連の『世界幸福度ランキング2013』によれば
1位はデンマークで、アメリカは17位、日本は43位だ
”豊かな国は幸福度が高い半面、問題も多い”と分析されているように
世界的に見れば豊かであるはずの日本は
同じく豊かな西側先進国同様
”豊かさにまつわるストレスや、欲望がかなえられないことへの失望”が
幸福度を下げているらしい

一方、デンマークなどの北欧諸国は、高福祉で有名だから
安心感から幸福感も上がるのかと思いきや
実はそうでもないようだ
何しろ高福祉の国は税金も非常に高い
不満を感じる人も多そうなのに、なぜ幸福度世界一なのか
今回その理由をわたしは初めて知り、なるほどとても納得したのだった

デンマークには
1933年にデンマークのライターのアクセル・サンダモセ氏が考えたコンセプト
Jante Law(ジャンテロウ)というものがあって
日本人が礼儀を重んじる国民であるように
デンマーク人は生まれながらにジャンテロウを大切にしているのだそうだ

ジャンテロウそのものは次のとおりで
ここでは「us」をそのまま「私たち」と訳しているが
「人」とした方がわかりやすいかもしれない

1. Don’t think that you are special.
 (自らを特別であると思うな)
2. Don’t think that you are of the same standing as us.
 (私たちと同等の地位であると思うな)
3. Don’t think that you are smarter than us.
 (私たちより賢いと思うな)
4. Don’t fancy yourself as being better than us.
 (私たちよりも優れていると思い上がるな)
5. Don’t think that you know more than us.
 (私たちよりも多くを知っていると思うな)
6. Don’t think that you are more important than us.
 (私たちよりも自らを重要であると思うな)
7. Don’t think that you are good at anything.
 (何かが得意であると思うな)
8. Don’t laugh at us.
 (私たちを笑うな)
9. Don’t think that anyone of us cares about you.
 (私たちの誰かがお前を気にかけていると思うな)
10. Don’t think that you can teach us anything.
 (私たちに何かを教えることができると思うな)
11. Don’t think that there is something we don’t know about you.
 (私たちがお前について知らないことがあると思うな)

わたしはこれを読んだ時
このひとつひとつは聖書からきているとすぐ思ったが
高度経済成長期を生きてきた日本人にとっては
かなり抵抗感のあるものではないかと感じ
変な言い方だけど
だから日本にはキリスト教が根付かないのだろうなあと
妙に納得もしたのだった

ここには、人よりも優れた自分の姿を求める感覚がなく
自分に与えられた「分(才能や使命)」をわきまえ知り
人がどう思うかを気にせず、自分の面子にこだわらず
自分の「分」に従って生きることを教えている

もしジャンテロウが徹底すれば
誰もコンプレックスを抱くことなく
各々自分に与えられた才能を有意義に使い
お互いができるところを補い合っていくこともできるのだろう

実際にデンマーク人は幸福度世界一という実績を残している
世の中には色んな立派な教えがあるけれど
わたしは理想よりも現実を重視しているので
この実績はとても興味深い

人生の先が見えてきて
自分が求めていた理想とは違う展開に失望し
身体に病気を発症するまでになる人には
自分が本当に「好きな事」や「やりたい事」に出会えていない人が多い
それは同時に、本当の自分を知らないことの表れでもあると思う

お金が儲からなくても、誰もほめてくれなくても
無欲で没頭できる「自分の世界」がある人は心が元気だ
一方、努力と苦労で生きてきた人には
そういう自分の世界をもつことは「無意味」であり「堕落」だとも思う場合がある
こうして人の評価を気にし、面子にこだわり、真面目に生きてきた人が
人生の最後に「自分には何もない」と嘆くのを聞くと
最後のひと時でも、幸福感を感じてもらいたいものだと願わずにはいられない

だからわたしは、こういう人に対していつも
「自分が本当に好きな事を探してみませんか」と語りつづけている
これを言うと、何か今から活躍できることがあるのかと期待する人もいるのだが
わたしが意味するところはそうではない
人生に行き詰っている人は
その方向性(考え方や価値観)に問題があるということ

何かするたびに、優越感と劣等感の間を極端に行ったり来たりするのではなく
もう少し視野を広くして、場合によっては全く逆の発想で
常に落ち着ける、ちょうどいい加減なところを探していきたいのだ

本来の自分を探すためには、なにも遠くに旅立つ必要はない
自分はいつもここにいるのだから・・
お金がなくても、力がなくても
工夫する知恵があれば楽しさは倍増する
そうして、いくつになっても知らない世界があるのだと知ることで
人は謙虚にもなり
この先をもうちょっと見てみたいと人生に希望を見いだすことができる

ただ、この作業をするにあたっては
過去に自分が頑張ってきたことがまるですべて無駄であったかのように思えるので
その年月が長い人ほど、受け入れるのも難しくなるだろう
それでも、今までうまくいかなかった事をまた繰り返すのだろうか?
そんな状態をアインシュタインはこう表現している
『今までと同じ考えや行動を繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である』

初秋の庭にイヌタデが咲いている
どこにでもある雑草だが
わたしはこれを心待ちにしていた
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園芸にハマっている人の中には
こうした雑草を愛でる人が結構いる
価値のないようなものの中にも
人を感動させる力があることを知っているからこそ
わたしは人生に失望している人々に
発想の転換を伝え続けたいと思うのだ

心の問題 | 22:51:52 | Trackback(-) | Comments(0)
いいかげんな話 8~自信と慢心と
9月3日の日記
娘が、コンクールで審査員の先生から
「あなたは今日からその自信のない自分をやめなさい」と言われたと記したが
娘は昔のわたしに似て、気が強いくせに心配性で、失敗を恐れ
何かと自分に自信がないタイプだ

そんな娘にわたしは「もっと自信を持ちなさい」と言ってはきたものの
それ以上どう言えばいいのか
具体的にどうすれば自信が持てるのか
自分でもよくわからないまま時が過ぎた

というのも
わたしにとって「自信を持つ」というのは
そのまま「慢心」につながる入口のような気がして
どこまでが正当な(?)自信で、どこからが慢心になるのか
どうすれば傲慢にならずに自信を持てるのか
自分でもそのちょうどいい加減がわからなかったからだ
多分娘も同じような感覚を抱いてきたのではないかと思う

更には、どこまでいけば自信につながるのかという境目もあいまいだ
人は、自分で「できる」「やれる」と思った時
それが自然と自信につながっていくのだと思うが
「できる」と思う程度については人それぞれ感覚が違っていて
娘の歌に対する思いも
「もっと上手くなりたい」と思う向上心がある限り
自己評価はいつまでも低いままだろう

娘の座右の銘は、20世紀最高のソプラノ歌手マリア・カラスのこの言葉
『歌に関して言えば、わたしたちは死ぬまで学生なのよ』

この感覚は実にいい
こう思っている間は、傲慢になることはないと思う
ただし、ひとつひとつ成長した点については正当な評価も必要だ
ダメダメばかりじゃ自分がみじめになってしまうから
時には何かご褒美があれば元気も出るというもの
そういう意味で、先日の准本選の評価は有難かった
そして
とりあえず自分はまだまだ成長していると実感できれば
それが更なる自信につながっていくだろう

ところが、娘の場合
自分の努力ゆえに自信を持てる・・というほど頑張れるタイプじゃないので
「自信」という感覚はいつも中途半端だ
例えばピアノ科の人たちのように毎日何時間も練習しているとかなら
これだけ毎日頑張っているからということも自信につながるのかもしれない
しかし、この辺が娘は実に感覚本位というか
毎日根詰めて練習したら自分が腐ってくるのだそうだ(謎)
何か自分の中で良い感じに熟成してきたな~と思ったところで練習すると上手くいく
そんな風に自分の中で経験してきて
今はちょうどいい加減に熟成のタイミングをつかめるようになっているらしい
・・・なんだか分かるようなわからないような感覚ながら
「成せば成る」といってがむしゃらに頑張る従来の日本の教育方針とは
かなりかけ離れたいい加減さが、娘には重要なポイントのようだ

だが、ここまで娘は特別に頑張った実感はなくても
指導者を信頼し、従う努力はよくしてきたと思う
声楽を始めて12年
いつも娘の心の中には、お世話になってきた先生方に対する感謝の思いがある
そして何よりも
自分の良さを見つけてくれる指導者に出会えたことを奇跡のように有難く思う

今の自分があるのは誰のおかげなのだろうか
そこを忘れなければ、これから自信をつけていっても慢心にはならないだろうが
もし仮に修行のように自分を犠牲にしながら頑張っていたら
自分を誇りたくなっても仕方がない気がする
だが、自分を支えてきた頑張りにいつか限界が来た時には
辛い思いをするのも自分だ
こういう不安定な自信を持つのは、返って厄介なことかもしれない

実は、娘は歌の試験で今まで2回「奇跡」を体験している
それはどちらも「歌詞忘れ」だが
一回目は、30分プログラムの半ばで次の曲の出だしがわからなくなり
とりあえずお水を飲みに行く時間が許されていたのを利用して舞台から引っ込んだものの
そこに楽譜はなく、遠くの部屋に取りに行く時間もなく
結局そのまま舞台に出てきた
そして伴奏が始まりもうダメかと思ったところで、ふと歌詞を思い出す、、
二回目は、途中で明らかに歌詞を間違えたが
目の前で聴いている先生の表情が変わらないので不思議に思っていたら
後から録音を聞くと、何と全然間違っていなかったのだ
信じられない・・絶対間違ったのに・・と娘は何度もわたしに語った

その時の試験には
次回特待生の試験を受けることができるかどうかがかかっていたから
娘にとってはまさに死活問題だった
どんなに念入りに準備をしても、人間にはミスがつきものだし
体調管理も完璧には行かない
今回の准本選でも、直前にノドの調子を悪くし
それでも「こうして色々あってもいつも最後は上手くいくから」と娘が信じていたのは
今まで細かい事をあげればきりがないほどたくさんの奇跡に支えられてきたからだ

そして、ノドの調子が悪くても、声の良さをほめてもらい
その声を「天性のもの」と表現された時には
「あなたは良い声をしている。神さまに感謝しなさい」
というB先生の言葉を思い出して
神さまからもらったものなら堂々と誇りに思わなくちゃ~と思うようになった

こうして娘は、自分の頑張りによらない安定した自信を得て
次の段階に臨む準備をしている
自らの誉れを求めたら自分が苦しくなるので、それはさて置き
もらったものがもっと活きるように磨きをかけ
歌う自分も、聞いてくれる相手も、共に楽しめるようにと願いつつ、、

*****

秋になり、バラの新芽が動き出した
それぞれのバラが別のバラに化けることはないが
育て方によって花の質は確実に変わっていく
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*「いいかげんな話シリーズ」は
 『教会の紹介~心の問題を考える』に収録しています

心の問題 | 15:28:42 | Trackback(-) | Comments(0)
ビクトリア朝ドレスを作ろう
7年前から始めたドレス作りも
一年に一枚ペースでずっと続いており
絶対無理!と思えたものでも
ある程度作れそうな自信もできてきたこの頃・・
次はいよいよ
こんなゴージャスなデザインに挑戦することになった
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パッと目はワンピースだけど
上下がわかれており
面白い事に、トレーン(長く引きずるすそ)が付けはずしできたり
後ろスカートの上につける飾り布(何と呼ぶのかな?)もボタン留めになっている
ということは、これ一着で
パーッと豪華な感じにも、ちょっと抑えた感じにも使えるので便利かも~

さあ、型紙が到着したところで
次は布をどうするかだ
通販だと実際の色や質感が確かめられないので怖いけど
検索していてコレ!と思える布に出会ったので
もう一か八かで注文してみたのがこちら↓
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いや~これ立体感も高級感もあってなかなかGOODですよ♪

無地布は、紫ドレスの布と同じメーカーのものを使うことにして
何枚かサンプルを取り寄せてみた
候補はこの2つだけど
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やっぱり若々しい感じはこっちかな
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作業開始は、涼しくなった10月からと考えつつも
無地布が届いたらきっと始めそうな気がする

手芸 | 14:21:46 | Trackback(-) | Comments(0)
秋バラの準備
一週間降り続いた雨もやみ
久しぶりによく晴れた今朝
大きく茂った緑肥トウモロコシを刻んで
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土にすき込む作業をした
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生垣花壇の方には、緑肥トウモロコシのほかに
センチュウ防除目的のギニアグラスやマリーゴールドもあり
こちらも一気に刈って一部を埋め、あとは上に置いた
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バラは今がちょうど「夏剪定」の時期
とはいえ、あまり葉数を減らしたくないので
細い枝を切り取る以外は、先を少しずつ摘んでいく
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8月は、500倍希釈が基本の粉液肥を
2000倍希釈で週一回のペースで潅水してきたが
9月は1000倍希釈にする予定にしている
早速今日から始めたかったけど
暑さに負けて緑肥をすき込む作業で終了~

ベンケイソウがじわじわ開花中
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秋明菊ももうすぐ咲きそうだ
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バラ2013 | 13:35:40 | Trackback(-) | Comments(15)
青春賛歌第三幕 14~コンクールに学ぶ
この夏、娘は大学に入って初めてコンクールに参加しており
一昨日には西日本大会である「准本選」出場のため
台風が迫ってくる大雨の中、兵庫へと出かけた

7月の地区大会の時は
優秀賞をもらって通過したものの
審査員の先生方からは
華やかなタイプの選曲が娘のイメージにあっていないと指摘されたので
准本選には、”嘆きの歌”である『あの石に刻んだ時/ベッリーニ作』を選んだ

また、その曲の雰囲気に沿うように
ドレスの袖も、はかないイメージを大切にして透けた素材を使う
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透けたオーガンジーの布だけではもの足らないので
控え目にスパンコールのついたブレードで縁取ると
適度に曲線が描けて良い感じになった
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ところが、こうして準備も整い、練習も十分重ねて
後は行って歌うだけという本番三日前
いきなりノドを痛めてしまいムードは暗転、、
それでも「こうして色々あってもいつも最後は上手くいくから」と
希望をもって娘は出かけて行った

とはいえ、コンクールで遠隔地に行くのも初めてだし
その上、初めて公式伴奏者と演奏するのもかなり不安だったが
いつも伴奏をお願いしている先輩から
公式伴奏者に短時間でこちらの要望を如何に伝えるかを伝授してもらったので
前日の15分しかないリハーサル時間も無駄なく使うことができた
もちろん公式伴奏者は大ベテランのプロだから
伝えきれなかった部分も、本番では娘に上手く合わせて歌を引き立ててくれたし
こうして娘の「きっと上手くいく」という希望は
たくさんの助けと共に答えられていく

本番の出来は、娘の自己採点によれば60点くらい
ノドの調子がやはり完全には戻らず
出だしの低音部が弱くなってしまった事と
どうしても緊張して無駄なエネルギーを使い
スタミナ不足のため最後がやや盛り上がりに欠けた
それでも、この曲をここまで自分なりに作り上げてきたことには満足しており
少なくとも自分の思う半分以上の演奏はできたと評価する

今回、娘がこのコンクールに参加するにあたり
目標は、とにかく全国大会である東京の「本選」に出場することにあった
それは、准本選を通過して本選に出場した者には
全員に「本選入選」の肩書が与えられるからだ

音楽(特にクラッシック)の世界には
活動実績やコンクール受賞歴などが記されたプロフィールがつきものだが
娘にはまだ自分のプロフィールに書けるコンクール実績がない
昨年、学内の演奏会オーデションに合格したのも実績の一つではあるけれど
やはり広く一般に開かれたコンクールでの実績が何か欲しいと思う

音楽家として信用されるには
その人がどこの音楽大学在学(卒業)かという名前よりも
どんな演奏をするのかという実績が重要だ
かといってみんなの前でいちいち演奏する機会もないので
プロフィールに書かれた実績はその人を信用する入り口の役目を果たしている
信用があれば、とりあえず演奏するチャンスも広がって
また更に実績を積んでいく道も開けていくだろう
ただし、その信用に答えられなかったらそれはそれで大変なわけで
実績をあげた人ほど重荷を背負っていくことにもなるから大変だ

それでも、今はまだ何も持たない身だから
娘は今回とにかく准本選を通過したかった
地区大会で優秀賞をもらっていても
その成績が准本選に加味されるわけではないし
リハーサルや本番で他の参加者が
技巧を凝らしたオペラ・アリアを歌っているのを聞くと
地味な歌曲でどこまでアピールできるのか不安になってくる
もともと自信がない心配性なのだから
こういう場に出るとますます気持ちが引けてしまうのも当然だろう

大学生の部が終わり、続いて高校生の部が終わってから
いよいよ審査結果が発表される
その頃、わたしもケイタイを傍において娘からの電話を待っていた
そして娘の興奮した声がこう告げる


「お母さん!一位で通過した!!神戸新聞社賞をもらったよ!!!」

(小メダルは地区大会優秀賞、大きい方は准本選入選、神戸新聞社賞は一位の証)
tokyokokusai2013901.jpg

いやはやこの展開にはこちらも驚くやら感謝するやら
とにかくびっくりして夕食がのどを通らなくなったほどだ(笑)

よかった
これで念願の「本選入選」は確定した
しかも一位のおまけつきとなれば
さすがに自信のない娘でも
自分の歌が一般に通用することを確認できただろう

結果発表は上位から始まったので
大学生の部で一番に名前を呼ばれた娘は非常に戸惑い
猫背でこそこそ恥ずかしそうにするいつものクセが出たらしく
後から審査員の先生方に講評を聞きに行った際
「あなたは今日からその自信のない自分をやめさない」
と言われたらしい(笑)

講評の内容は、娘の予想に反してかなり好意的なものだった
ただ、出だしの低音部の不調については「どうしたの」と問われたので
ノドを痛めている事を告げると
本選までに治して来るようにと言われただけで
「声がとても美しい」
「自分なりに曲をよく作り上げている」
「伝えたいことがこちらにも伝わる歌」
「この渋い曲をよくここまで聞かせた」など
当然ダメ出しが連発されると思っていた娘にとっては
驚くほど高い評価をしてもらっている事が本当に有難く
続く励ましの言葉を通して
その高い評価点には
”まだまだやれるはず””もっと自分の良さを出して”と
本選までにはもっと自分を磨いて
更に良い演奏をするようにという期待感が込められている事が伝わってくる
要するに、今後の見込み点(のびしろ)も含めての評価ということ

娘自身は今回の結果を感謝しつつも冷静に受け止めている
正直なところ本当に自分がもらってもよかったのか?!とも思うようだ
では何のために一位をもらったのだろうか
それは、本来コンクールとは
決して誰かと比べて競い合うのではなく
自分自身と正直に向き合い
背伸びせず、自分にあった曲を選んで
そこに精一杯集中していくことで
今まで自分の中に隠れていたものが現れて
それが不思議な魅力として相手の心に響くことを
娘自身が知るためなのだと思う

実際に、このコンクールでは
HPの中でも
 ”例年、実力以上の高音やコロラトゥーラ等を選ぶ受験者も少なくないが
 挑戦よりも演奏の仕上がりが審査対象である事を顧みて
 「自分が最も上手に歌える歌」を選曲する事。”と
難しい曲で派手なアピールをすることを戒めている

それでも多くの人は難しい曲を選んでいた
きっと日常的にもそういう曲を歌っているのだろう
そして、娘はそれを聞いて自分はダメかも?と心が揺れたが
地区大会の時の講評を素直に受け入れて
コンクールでは滅多にお目にかからないような地味な曲であっても
自分の個性が生きる曲を選んで良かった

「従う」ということは
例え内容は簡単な事でも
実際に踏み出すには勇気が必要だ
それが自分のプライドに関わる事ならなおさら難しい
そんな時に娘は、聖書の言葉を引用して
「己(おのれ)に死ねばいいのよ~」と
昔から冗談のように言ってきたけれど
今はその意味が身にしみてわかるだろう

来月の本選では
規定でオペラ・アリアを一曲入れなくてはならない(全2曲)
すでに選曲はすんでおり
こちらもやはりコンクール向けではない渋い曲だが
かなり高音も入って今回よりもアピールできる曲になっている
もちろん娘の好きな曲だから
すでにやる気満々だ

今回こうしてコンクールに参加してみて
自分は一応ソプラノだけど
自分の声も選曲も他の人とはタイプが全然違っていて
これじゃあ誰とも比べられないわ・・と娘はつくづく実感した
後はもう自分が本選までにどのくらい成長できるかが問題で
戦う相手は自分自身しかいないこともはっきりわかる
本選の結果がどうであろうと
この経験は娘の人生に必ず生きてくるだろう

今回の音源を、また花の画像と合わせてアップしてみた
一ヶ月後にはまたぐっと成長している事を期待しつつ・・

「あの石に刻んだ時」/ベッリーニ(←題名をクリックするとyoutubeサイトへ)


ちなみに、今回のドレスは周りから随分ほめられたとのことで
それもまた嬉しかった
実は10月になったら次のドレスを作る予定だが
わたしも自信のない自分を卒業して
これまでよりもバージョンアップした作品にしたいと意気込んでいる

青春賛歌 | 16:02:35 | Trackback(-) | Comments(10)
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