クリスマスローズの花芽が出る
隣家の電線にジョウビタキが止まっていたので
急いでカメラを持ってきたら
屋根の方に移動していて上手く撮れず残念!
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一昨日は3月下旬の暖かさで
野菜にかけているビニールも一部外して風を通したが
翌日からはまた真冬に逆戻り
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yasai2015128-2.jpg

それでも庭の方では
クリスマスローズの花芽も上がってきた
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ブロッコリーも大きくなり収穫が始まった
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庭つくり2015 | 14:52:33 | Trackback(-) | Comments(5)
音楽と共に生きる 8~のどをケアする
風邪によるのどの不調は日ごとに良くなり
先週末からは『椿姫』練習~聖歌隊~合唱団指導など
毎日通常通りの予定をこなし
今日はレッスンも調子よく終えることができた

声帯炎はくり返すと声質が変わってしまうから注意しなさいと
今回は先生からもしばらくレッスンを止められており
歌いたいのを我慢して過ごしてきたので
やっと調子が戻って一安心だ

今までなら風邪はひいても声帯にはさほど影響がなかったため
「自分の声帯は風邪に強い」と自信を持っていたのだけど
その自信は今回をもって返上したらしい(苦笑)
そう、自信は慢心につながるから気をつけないとね

とはいえ、これまでも
部屋では加湿器や空気清浄機、アロマオイルを使い
市販の風邪薬(総合感冒薬)はなるべく使わず
咳には「大根ハチミツ」や「レモンハチミツ」といった民間療法で対処するなど
声を大事にしている人たちが気をつけている事はだいたいやっている

今回の声帯休養中には
「ショウガ・レモン・ハチミツシロップ」を作ったが
これはなかなか刺激的でいかにも効きそうな感じ?!
そして今日ははじめて「黒豆シロップ」を作ってみた

黒豆1カップに5カップの水を加えて2時間以上置き、20分間煮る
kuromame2105127-1.jpg kuromame2105127-2.jpg

豆を取り、砂糖300グラムを入れてとかす(温かいうちに)
クエン酸を小さじ1杯入れると、グレープジュースのような色になる
(このシロップを水やお湯で適当に割って飲む)
kuromame2105127-3.jpg kuromame2105127-4.jpg

また、このたびは急性期に抗生剤を服用したので
腸内細菌を復活させるべく、ハチミツ入りのホットヨーグルトも飲んでいる
ついでに納豆も常食して・・・と
娘ただいま微生物ブームの模様~

さて、『椿姫』の公演まで2カ月を切り
今日はめでたく手持ちのチケットも完売した(感謝!)
娘がキャスト出演するのは22日の方だが
21日にも合唱隊で出演し
その際にはパーティーシーンなどで2種類のドレスを着ることになっている
しかもベアトップ(肩が出るタイプ)でなければならないため
一着とりあえず買ったのがこちらの緑のドレス
dress2015126-1.jpg

そして、もう一着はこちらのドレスを貸してもらえることになった
dress2015126-6.jpg

う~ん、この型紙ほしいわぁ~~
dress2015126-5.jpg

次のドレスはぜひこんな花柄生地で作ってみたい

音楽と共に生きる | 23:45:10 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 7~過去の清算
昨年11月
『牧師先生のご意見をお聞かせ下さい』という件名のメールが来た
内容は当教会にあてたものではなく
日本最大の某キリスト教団に対する問いかけで
なおかつ政治的なものだったため無視していたら
その後何度も同じ内容のメールが届いている

今は単立教会になっているわたしたちの教会が元いた教団には
”政治的なことには一切関与しない”という初代監督からの勧めがあった
このことについては、わたしは特に疑問も関心も持ってこなかったが
今はそれを本当に賢明なことだと思う

メールの内容は
教団が長年支援してきたという”ある問題”についての政治運動の件で
昨今その問題の真偽の根拠がくつがえされたことから
支援してきた立場としてどう責任をとるのか追及するものとなっていた
かつては責任追求する側だった立場が逆転し
今はただ沈黙を守っている様子を見ると
人間の判断する”思いこみの正義感”に駆られた行動の結末は
きっと想像を越えたものとなっているのだろう

一方、今回の騒動で教団の責任を追求する側もまた
追い詰めることだけが目的である可能性があり
その容赦ない批判は、お世辞にも好感のもてる内容ではなかった
人間には誰かを吊し上げることで快感を得る傾向があるが
人生に不満を抱えていればなおさら復讐心も燃えるというもの
だが、「恨み」や「憎しみ」の中には「愛」はなく
徹底的に蹴落としあう先にあるのは明るい未来ではない

今から28年前のこと
神学校を卒業間近だったわたしは、東京に住む友人を教会に誘った
彼女は教会に対してとても興味を持ち
”救い”についての話を聞いて喜んで洗礼も受けたが
わたしが最後に語ったある内容がひっかかり
それ以降もう教会へは来ていない
で、その”ある内容”とは、
社会的に大きな問題を起こしている”異端”と呼ばれる教会の話だ
わたしにとっては、自分の所属する教会が
そういう問題のある教会ではないと言いたかっただけなのだが
それについて彼女は
「自分が正しい事を主張するために別の教会の悪口を言う必要はないでしょう?」
「わたしは先の話でここの教会は良いと思ったけど、その話を聞いたら嫌になったわ」
と言った
これにはさすがにぐうの音も出なかった事を今でも思い出す

わたしはそれ以来、問題のある教会について話すことに慎重になった
宗教と過激な危険思想とは紙一重なので
きちんと説明するのはとても重要だが
行き過ぎると批判そのものに熱心になる可能性は大いにあるだろう
ただ、当時のわたしは、友人から指摘されるまで
自分のやっている事が普通だと思っていたのは
世の中が「批判」というものに対して
まだ考え方が成熟していなかったからだと思う

少なくとも現在は
批判だけでは問題は解決せず
人の信用も得られないことはわかる時代になった
では、自分なら何をどうするのだろうか?と、自ら考え
そしてそれを行動に移し、一定の効果を示せた時
初めて人は話を聞いてくれるようになる

このように
誰かに対して自分の信じる正義の話をする時には
話す本人にどれだけ信用があるかが問われることになるわけで
理想を語ることも、その反対にあるものを批判することも簡単だけれど
そこで止まってしまったら誰も信用してはくれないのだ

先日、ある友人と電話で長話になった際も
「わたしたちにとって一番大切なのは
正義を押し売りすることじゃなくて、信用される生き方をすることでしょう」
という話で意見が一致した
人間社会に間違いや失敗はつきもので
どの世界にも”負の遺産”はあり
過去の人を糾弾するような動きは常にあると思われる
だが、人の過ちをとことん追求する姿は決して品の良いものではなく
そこには未来のビジョンが具体的に語られるわけでもなく
過去の過ちから学んだ新しい動きがあるわけでもないとすれば
何をもって信用を得るのだろうか

更には、過ちを追求する時に必ず要求される”謝罪”についても
心からのものでなければ意味はないし
それ以前に
組織や家庭に至るまで古い時代の権威主義が残っている場合には
上の立場の人が簡単に謝ることもないだろう

立場が上の人というのは
本来「責任ある立場」のはずだが
世の中では下の誰かに責任を押し付けて逃げることも多い
そもそもなぜ責任が生じるかと言えば
立場が上の人ほど発言権があり、物事を動かす力もあるからで
多くの人の人生にまで影響する可能性が高いにも関わらず
最後まで責任を持とうとする潔い人ばかりではないのは残念なことだ

様々な問題の真偽は、結局「本人」にしかわからない
だから、真実を知るには、本人の「良心」に頼るしかないわけだが
プライドの高い人ほど間違いを認めることで失うものが多く
社会的立場が上であれば、なおさらそれは自分にとって「死」を意味し
追いつめられると本当にそういう道を選ぶ人まで出てきてしまうこともある
それほど人間のプライドが命がけでも守らなくてはならないものならば
どんなに追及しても結局「死んでも認めない」のも仕方がないとも思う
また、そこが人間の弱さなのだと認めて(あきらめて)いかなくては
未来へ向けて歩き出すことは難しい

誰かの立場を守るために出たウソで
他の誰かが多大な迷惑をこうむることは世の中にはいくらでもあること
それでも自分の立場を守るためのウソについて本人には「悪気」はない
そうしなければ自分(のプライド)が死んでしまうのだから
それは悪気ではなく、本人にとって「仕方がない事」になるのだろう
でも、そのために相手は大きな痛手を負うかもしれないが
そこまで思いが至らないとすれば、そこには愛が欠けている
だからといって、ウソをついた相手を追求して死にまで追い込むことも
愛があるとは言えないと思う

かつて、とんでもないウソのために被害をこうむった際
夫がそれについて徹底的に追及しなかったことを
7年前わたしは記事(具体的な内容にはふれていない)に書いたことがある
当時はすでにその意味を納得しつつあったが
今は夫の行動を本当に正しいと確信しているのは
昔はなかった「自信」がついたからなのかもしれない

あの事があった23年前はまだわたしも若かったので
ふりかかった災難は自分の力で何とかするしかないと思っていたのだが
長い間には
人はその生き方を見て信用に足る人物かどうかを判断されるものだということと
隠された真実は忘れたころに明らかになることも実際に経験した
それによって
”いつもどんな時も神さまは見ている”ことを知り
今はそう実感することが「自信」と「自戒」につながっているように思う

教会には様々な問題が持ち込まれ
「気の毒な話」もあれば、怪しい「お涙ちょうだいの話」もあって
両者の区別には冷静な対応が必要になる
もしとんでもないウソやウワサを信じ、一緒になって相手を批判していたら
間違いの責任はやがてこちらにも回ってくるだろう
物事は常に両者の言い分を聞かないと真偽のほどはわからない
それは、自分の経験を通して身にしみている事だ

人生には、色んな出来事があり
良かれと思ってやったことにも間違いはあるもので
もはや取り返しのつかない過去の問題にこだわってみても
それは未来へ進もうとする足を引っ張るにすぎないのだと
この手の事例に関係するたびに思わされる

この度のメールの内容にしても
あらゆるキリスト教会に対して疑問を投げかけたようだが
残念ながらこれはどうしようもないことだ
特に古い問題となれば、当時の関係者はすでに故人かもしれない
そして、仮に今後、誰も「潔い人」が現れないとしても
それを反面教師として学び
自分の道を正すことに役立てればいいのではないだろうか

  「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい
  『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる
  あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ
  そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる
  悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」
                      (ローマ人への手紙12章19節)


心の問題 | 11:16:26 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 6~聞く耳ある者
先日わたしは、ちょっとしたことで息子に対してキレた
その日は”資源ゴミ”を出す日だったので
大量にたまったダンボールや新聞紙を
ゴミ収集場所まで車に積んで運んでと頼んだのだが
息子はそれを手作業で運び始めた
「だから車で運んでって言ったじゃない?!」と言うと
「面倒くさいから手で運べばいいよ」と言う
わたしはこの”面倒くさい”という一言にイラッとして
「もういいよ!自分でやるから!!」と、さっさと車のキーを取りに行き
荷物を積み込み始める
その間も息子は黙々と手作業でダンボールを抱えて運んで
最後にわたしが収集場所に車で到着したところで降ろす作業を手伝った

わたしはその後も、息子の”面倒くさい”に対して腹を立てていたが
息子が説明していた言葉を思い出し、だんだん冷静になると
どうやらわたしが勘違いをしていたらしいと気づいた

そもそも、わたしは息子の”面倒くさい”との言葉を
ゴミ出しそのものが面倒なのだと受け取っていた
ところが息子としては、このくらいの量だったら車を出さなくても
手作業で往復した方が早いと考えていたのだ
実際に、車に荷物を積み込む作業にも手間がかかるわけで
これを息子は”面倒くさい”と言ったわけだ
しかも息子自身はその手作業を自分一人でやるつもりだったのに
これもわたしが勘違いして
わたしも一緒に荷物をもって往復するのだと思い込んでいた

理由が分かってみれば何でもないことだけど
カッとなると、相手が一生懸命説明している事も頭に入らないし
聞きたくないとまで思ってしまうのは
親であるわたしの方が立場が上との感覚があるからかもしれない

特に親子の間のように
年配者が若い人に対して勘違いしている場合
それを素直に認めて謝るのは結構難しいように思う
わたし自身は今回の事をすぐ息子に謝ったし
基本的には自分の非を認めて謝ることを恥と思わないが
それでも親としての面子が全くないわけじゃないことを
今回も改めて教えられた気がする
だから、自分で意識して「今ちゃんと謝っておかないと」と自分を押し出さなければ
そのままズルズルと何もなかったかのようにしてしまうかもしれないなと思った

昔も今も、”親は子どもに謝るべきではない”との考え方は存在し
それは、親の権威が失われないためだ等と言うが
今やこういうやり方は、親の権威どころか信用を失う元になるとわかっていても
変えられない人は結構いるんじゃないだろうか
人は自分が正しいと思っている方が自信をもって生きられるので
間違っているかもしれないと思うことは難しく
年齢が上であれば、相手より物事を知っているとのオゴリもあるだろう

”人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ”
『ガリア戦記』の中でジュリアス・シーザーが記しているこの言葉は
人間の弱さをよく表している
この言葉は”人は見たいものしか見ない”との別表現もあるように
人間は自分の信じる正しさ以外の話に耳を傾けることは難しい

だが、人の話をよく聞いてみると
自分が何も知らなかった事に気づくことは多く
その相手が子どもであっても
親とは違ったモノの見方に驚いたり感心したりすることもある

自分と考え方が違う人の話に耳を傾けなければ
自分の心(理想)は揺るがないので楽だけれど
それでは現実を知らない単なる井の中の蛙でしかない

今年の水仙も花は2本しか出てこなかった
suisen2015123.jpg

これについては昨年も同じことを書き
その時に原因も解決方法もはすでに教わったにも関わらず
ちゃんと植替えをしなかったため
同じ結果になってしまったと思われる
自分に都合の良い思考回路になって
今年はもしかして咲くかも?なんて期待しても
現実はこれだ、、

あの人は人の言うことを聞かない・・・と
人のことはよく気がつくものだが
自分はどうなのか?
身近な日常にこそ、自分に問いかけるべき課題がある

心の問題 | 23:53:03 | Trackback(-) | Comments(2)
音楽と共に生きる 7~チケットを売る
先週の部屋移動で連日大掃除をしている間に
娘は風邪をひき、しばらく歌が歌えなくなった
マスクはしていても長年のホコリもある上
寒くて風邪もはやっている時期だし
年末まで続いた忙しさの疲れも残っていたのだろう
幸い、歌えないのは一時的なもので
今週はだいぶ回復し
一昨日は大学における演奏会にも出席して無事に役目を果たしたが
先週の『椿姫』の練習と、聖歌隊の仕事は初めてキャンセルしている
それでもまだ代わりの人がいる仕事だからいいようなものの
絶対休めない演奏会本番だったら大変なことだ
そう思うと、今回唐突に大掃除に入ったのは
タイミングとしては良かったのだと思う
何しろ次にゆっくり作業する時間がとれるのは当分先のことで(半年先?!)
その頃になればどんな予定が入っているかもわからない、、

今回は、おかげでずっと気になっていた古い持ち物の整理もできたし
コンパクトな部屋の暮らしはなかなか快適らしい
広い部屋に住んでいると、ついその辺に物を置くクセがつき
そのうち部屋全体を散らかしてしまうわけで
”片づけないと住めない部屋”になったと同時に
モノが減り、室内の移動距離も減って、片づけやすくなったことが良かった
娘いわく「今はモノを増やしたくないから物欲もゼロ」というのもいい^^

とはいえ、今は物欲どころじゃないわけで
3月の2つの演奏会のチケットノルマをどうこなしていくかが最重要課題だ
11月にチケットが売り出された『椿姫』の方は
とりあえず手持ちチケットが残り数枚になった
こちらは一枚の値段が高いのでどうなることかと心配したけれど
応援してくださる方々が予想以上にたくさんあって本当に有難い
一方オーケストラの方は、まだ宣伝し始めたばかりなので
これから少しずつ売っていかなくてはならないが
この”売る”というのはホント苦手~~
タダで配るのなら気が楽なんだけど、さすがに全部自腹は無理だし、、--;

それでも、オーディションの募集ページには、以下のように記されており
たくさんの方々に応援していただくようになるために
演奏家自身が努力するのは当然のことなのだろうと思う

 「演奏家として魅力溢れる音楽を創造することは勿論
  これから演奏家として活躍の場を拡げて行くに当たって
  応援していただけるお客様を多く獲得することも演奏家としての重要な役割です」


日本では音楽だけでなく
芸術全般に対する国の援助が欧米に比べて非常に少なく
何とかならないものかと昔から言われているが
別に誰かに頼まれて音楽をやっているわけではないし
あくまでも自分が好きでやっているのだから
ここは覚悟を決めて営業もしなくてはならないのは
よく考えてみれば当たり前のことだ
その辺のことについては、本人は実にあっさりしている
「売れと言われれば何とか売るのよ
営業の仕事をしている人達もみんな当たり前にやってることだからね」
そう、音大を卒業して営業職についた友人の苦労話も常々聞いている
音楽家だけが甘えていられるはずはないし
理想的な時代が来ることを待っていたら自分の時代は終わってしまう

誰かが助けてくれることを頼りとせず
自分の出来ることを精一杯やることで、娘はここまで歩んできた
こういうのを一般的には”自助努力”というのだろうけど
娘の場合は自分の力でがんばっているわけではないので
”神助努力”といった方が正しいと思う
今回の舞台も神さまからもらった大きなチャンス
チケットノルマごときで恐れてはいられない

そんな中で、チケットが一枚二枚と売れていくたびに
心から感謝の気持ちがわいてくる経験もまた大変重要な事と思われる
わたしも先日、演奏会の事を何気なく話した人が
思いがけず4枚も買ってくれてものすごく嬉しかった
そして昨日は2枚、友人のところに届けに行った
また、別の友人からも電話があって、もっと人を誘ってくれるという
売ることが苦手なわたしの代わりに、友人がこうして動いてくれる
あ~なんて有難い事なんだろう、、(感涙)

こちらは19日に幼稚園の子どもたちを大学へ招待して行われたコンサートの様子
『美女と野獣』より
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『アナと雪の女王』より
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子どもたちの大好きな「Let It Go~ありのままで」が始まる
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客席へ降りて一緒に歌うこの瞬間がとても楽しい
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音楽と共に生きる | 21:34:00 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 5~”ほどほど”を維持する
息子がダイエットを始めてから2年が過ぎ
(当時の記事はこちら
その間何度か「お休み」をはさみつつも
ピーク時より10キロ減の体重をとりあえず保っているのは
結構いい線いってるんじゃないだろうか?!と個人的には思っている

ただ、目標体重まであと2キロの壁はどうしても越えられないまま
さらに年末年始の休みの間にはしっかりと食べ過ぎているので
その10日間でどれだけ増えたか測ってみたら
なんと、300グラムしか変わっていなかったのには驚いた@@

人間の体というものは何とも不思議なものだ
計算して厳しく管理しても
ちっとも体重が減らない時があるかと思えば
明らかに食べ過ぎていても減っていくことがある

これは息子だけでなく
普段から体重を気にしている娘も不思議がっている事だけど
その時の食べ方や体の動き(忙しさ)以外に
色々見えない要因が体重を左右していると思えば
あまり”規則”に必死にならず
何事も”ほどほど”のところを維持する方向で行った方が
結果は良さそうな気がする

とはいえ、現実には
この”ほどほど”のところを見極めるのも難しいわけで
極端なダイエットで短期間にやせては
またすぐに戻ってしまうリバウンドを繰り返す人は多く
中にはダイエットのストレスで
拒食と過食を繰り返す摂食障害に陥る人もあるなど
ダイエットは、どう心のバランスをとるかも重要な課題だ

その心のバランスをとるために必要なもののひとつに
”(食べたいものを)食べることを許す思いやり”がある
自分で決めた規則を状況に応じてゆるめることは
何か負けたような気がして
少し食べ過ぎたことで、もうすべてがダメになったように落ち込み
ついでにヤケ食いに・・というのはよくあるパターンだが
絶対に規則を破ってはならないとストイック(禁欲的)になるほど
リバウンドがひどくなるのは
そこに”優しさ”が欠けているからなのだと思う

そもそも、規則はオキテであり
オキテとは、守らなければ罰則があるものなので
絶対守らなくてはならない
だから、”オキテ”に対して、優しさや思いやりといった”愛”は
本来、相入れない存在なのだ

さて、息子の体重がどうしても目標値まで下がらない事を思うと
食事管理者のわたしとしては
本来ならばもっと厳しく管理したいところだけど
バイクの教習が一日多い時には6~8時間も入ると
体力も神経も消耗し、相当お腹がすくらしいので
最近はお弁当の量もかなり増やしている

また、ダイエットの敵である、甘い物や油の多い肉類にしても
これらの食べものと息子の働く意欲には、密接な関係があると分かっているので
クリスマスに自分で買ってきたホールケーキを半分食べても
わたしがせっかくダイエットに協力してあげてるのに!!と
文句を言おうとは思わなかった
だからといって息子は
それ以降ダラダラと甘い物を食べ続けているわけではない
仕事の忙しさや心の状態に応じて、ゆるめたり、しめたりと
そのちょうどいいサジ加減については、本人以外にはよくわからないものだから
本人の事情というものも考慮していく心のゆとりは大切だ

それでも、親は子どもに対して「あなたのため」と言いつつ
実は自分の心を満足させるために、無理強いをすることがある
先に”食べることを許す思いやり”と書いたのは
息子ではなくわたしが持つべき心構えのこと
息子のダイエットをサポートする側のわたしは
自分自身には食べものを制限しているわけではないので
息子が空腹だとしても、わたしのお腹は関係ない
だから、息子の空腹を思いやる心がなければ
がんばれがんばれ!!と、目標達成のみを考えて計画を推し進めるだろう

それは、昔まだ娘が幼かった頃
娘のアトピーを治そうと、色んなモノを仕入れては患部に塗り
ひどく痛い思いをさせたことも同じだ
娘が痛がって泣いても、わたしには痛くないので
このくらい我慢すれば良いのにと思ったこともある
今思えばヒドイ話だが
”ステロイドを使わない”ことがオキテになると
そこに愛を入れることは許されず
ひたすら我慢させるのが当然になってしまうわけだ

子どもに対してもこうなのだから
ものを言わないバラへの対処は更に過酷なものとなった
バラの無農薬栽培についての情報を仕入れ
自分の思い描く理想を達成することのみを考えて
細かい栽培計画を立てては熱心に管理するものの
バラは根が張らず、だんだん委縮して枯れるものが続出、、、
それについては最初は何が悪いのかわからず戸惑ったが
”わたしがどうしたいか”ではなく
”バラがどうしてほしいのか”を考えるようになって
事態は改善されていった
先日も、植替え作業をしながら
細い白根がたくさん張っているのを見て、株が健康であることを喜んだばかりだ
結局、わたしの心理面の変化によって
管理は”オキテ”から”ほどほど”になり
だからといって全てを投げ出さないのは
少なからずバラへの愛があるからだろう

この10年余り
わたしは無農薬栽培や自然栽培についてたくさんの園芸(農業)情報を仕入れ
自分で実践し サイトで発信してきたけれど
その中でいつも思ってきたのは
情報をそのまま取り入れても、情報通りの結果にならないという不思議だった
それについては、実践者の報告を聞いてみたくても
結果まで報告しているサイトは少なく
現実の情報はなかなか得られない
だからわたしは自分がやって上手く行かなかった情報と共に
それを自分のところの環境や条件に合うやり方へと変えながら
”ほどほど”のところに落ち着いて行く過程を発信し続けて今に至る

大切なのは”オキテ”を絶対守ることではなくて
そこに”愛”を加えて考えること
オキテに熱心になるほど人は意地を張り
オキテを破ることへの恐怖から
心はどんどん堅くなる
そういう苦しい生き方からは早く卒業した方がいい

夫の育てているシンビジウムが今年も立派に咲き始めた
今年は6本の花芽が出ている
2015118-1.jpg

夫の栽培方法は、基本的には自由な発想による自己流だけど
元はちゃんと科学的な理屈を勉強した上で
自分の勘を働かせながら一定の成果を上げてきた

夫に言わせれば
「特別な事をしなくても適当にやってたら咲くよ」とのことだが
その”適当”なところには
単なる理屈の勉強だけではたどり着けないし
かといって滅茶苦茶をやればいいというものじゃない

わたしが夫と同じ植物を育てても結果が違うのはどうしてなのかと
いつも不思議に思ってきたけれど
上手く行くポイントは
”ほどほど”を理解し、それを良しとして受け入れる
要するに完全主義ではない取り組みをすることにあるように思う

こちらは昨年春に咲いたボタン
botan2014423-2.jpg

前年の夏には枯れたようになっていたので
いつも教会へ来ている人々も
この立派な花を咲かせているボタンが同じ苗とは信じ難い様子だった

心の問題 | 13:18:47 | Trackback(-) | Comments(8)
理想と現実 4~自分でやってみることの意義 3
近いうちにわたしの部屋にする予定だったタンス置き場の部屋を
急に娘が使うと言い出したのは一週間前のこと
3畳しかないこの部屋の何が魅力なのかと聞けば
憧れの”秘密基地”みたいな部屋ができるから・・・って
そういえば、息子も昔ここに住みたがっていた事を思い出す
その時は、せっかく普通の部屋があるのに何でわざわざココ?
ということで許可しなかったけど
彼は今でも”秘密基地”にあこがれているらしい
そういう”子ども心”って、あの頃はじっくり考える余裕もなかったなぁ、、

さて、娘はまず2日ほどしっかり考えてから
ロフトベッドを購入することを決め
この限られた空間に自分の生活に必要なものを全部詰めこんで
いかに機能的な部屋を作るかに挑戦したいと申し出た
2月以降は忙しいので、時間は今しかない
というわけで、いきなりタンス部屋の片づけがはじまり
なぜか新年早々山口家は大掃除だ!(この寒いのに~@@;)

それから間もなくロフトベッドが到着
ここからは夫が登場し、父と娘の工作タイム~♪
2015113-2.jpg

まあ作業の8割以上は夫がやっているけれど
ひとりが支えておいて、もうひとりがネジをしめるとか
ところどころ2人で協力しないとできないこともあるし
何より初めての大きな工作に娘は心ワクワクだし
父親から、注意点やコツを教わりながら作業は順調に進んだ
2015113-3.jpg

このロフトベッドは階段つきというのが素晴らしい
2015113-4.jpg

床板をはめて出来上がり!!
2015113-5.jpg

左の白いケースは化粧台で、壁に鏡がかかっている
そして、この隣にデジタルピアノが並んで完成!
う~ん、結構入るもんだね~~(感心)
2015113-6.jpg

さあ、これで部屋はできたが
残ったのはネット環境の問題だ

うちは鉄骨構造で建物も広く、無線LANがつながりにくいので
屋根裏にLANケーブルをはわして各部屋に降ろしている
夫がその作業をしたのは約10年前のこと
その時には、屋根裏を移動するのに夫が随分難儀していたのを覚えているが
ここは1976年の建物だから、鉄骨の切り口がきれいに処理されておらず
鉄骨が複雑に組み合わさっている間をすり抜けるのが難しいなど
素人にはかなりの難関作業になるようだ
それでも夫は今回も自分が上がるとは言ったけれど
ここは娘が自分で挑戦することを決意する

冒険好きの娘だから、基本的にこういうことは好きなのだが
唯一心配だっだのが「ネズミの死骸とかないかな・・」ということ
あ~それはないでしょう、多分?!
それと、人が立てるほどの高さはあると聞いて安心していた
はいつくばって進むのはさすがに無理だ・・
というか、そんな過酷な環境なら娘を行かせたりはしないけどね^^;

ジャージに着替え、運動靴をはき、帽子にヘッドライトをつけて
いざ、屋根裏へGO!
2015114-2.jpg

この後は、夫が下から覚えている限り危険箇所を教え
どこを歩いたらいいか具体的に支持しながら
目的地へ導いていく
その間、想像以上の難所に遭遇した娘の声が響く
「うわぁ~ここは大変!!」
「でもネズミの死骸はない。ゴキブリの羽はあるけどね(汗」

かくして娘23歳、生れて初めて屋根裏を歩き
LANケーブルを引く任務を無事に完了
暗くて危ないところも、ちゃんと導いてくれる人がいたから
さほど不安感もなく、しかし注意深く作業を進めることができた

それにしても今回の移動作業は
予想以上に「ひとりでは無理!」と思わせるもので
色んな場面で特に”経験者の助け”が必要だった
経験がない事に対して、人は過剰に恐れたり、反対に軽く見たりもするが
頭で思い描く理想と、厳しい現実とのギャップを知る経験者は
どうすれば上手く行くか(失敗が少ないか)というポイントを知っている
そういうポイントやコツは実践者同士で伝えていくもので
”人任せ”では知ることもないだろう
もちろん、そこにある苦労もまた、実際にやってみないと分からないことだ

世の中にはたくさんの仕事があって
すべての職種を知ることも経験することもないだけに
頭だけで「プロならこのくらいできるはず」と勝手に決め付け
素人が無理なことを要求する場合がある
それでも人間には限界があって、できないことはできないのだと
実際に色んな事をやってみていれば想像できるようになるわけで
この”想像できる”だけでも
人の思い(許容範囲)は随分変わってくるだろう
理想を要求するのは簡単だが、実現は難しいのだと、、

実は、お正月に食べたおせんべいに、小さな虫と思えるものが入っていたが
うちの家族はそれを見て「なにこれ~?!!」と笑って終わった
他人の落ち度に気づいた時
「自分だったら絶対にミスしないことかどうか」を考えると
その後の対応は自ずと決まってくる
どうすることが正しい事なのかはケースバイケースだとしても
現実に基づいた判断でなければ
それはいずれ我が身にも返ってくることかもしれない

心の問題 | 23:50:14 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 3~自分でやってみることの意義 2
最近テレビで「冷凍卵」を作る情報を仕入れた母は
ネットでも調べながら早速やってみている
冷凍した卵の黄身は過熱しなくても”もっちり”した食感になり
しょうゆをかけて20分もすると、美味しいしょうゆ漬けの出来上がり

そもそも母がこの冷凍卵に興味を持ったのは
凍らせた卵ならパンに入れて焼くことができると思ったかららしい
娘がパン屋でバイトをしていた頃に売っていたカレーパンの中に
トロリとした卵黄が丸ごと入っているのをみて
どうやって黄身を壊さず入れているのかが疑問だったのだ

まだ実際にこれを入れたカレーパンは作っていないが
とりあえず黄身を4個しょうゆ漬けで食べたので
白身が4個分余っていた
そこで、卵3個分を加えて、白身多めのシフォンケーキを作る

普通のレシピの時よりかなり膨らんだ
できたてはもっと膨らんでいるが、写真は冷めて落ち着いたところ
あ、表面が一部はがれているのは、わたしがツマミ食いしたから^^
cake2015112-1.jpg

シフォンケーキ作り歴10年以上の母だから
ケーキ作りそのものは失敗しないけれど
今回はいつもと違うとの不安もあってか
型から出すのが上手く行かなかった
cake2015112-2.jpg

母は、失敗しないように!とあせるとパニックになりやすく
これはわたしもよく似ているので気持ちはわかる
だが、失敗を恐れていたのでは何もできないから
「何でも思い切ってやってみようよ」が、わたしの口癖になっている

前回
”何でも自分でやる一番のメリットは
自分が”素人”であることを教えられる所にあるんじゃないか”
と書いたが
それをマイナス思考でとらえると
自分が”素人”だと分かった時に、だからダメなんだ、、と落ち込み
せっかく今できている事さえも無意味だと思えてしまうかもしれない

それでも素人には素人なりに出来ることがあるのだから
自分自身が楽しんだり
あるいは人のためにも、そこそこに役に立つこともあれば
それが生きがいとなって、自分を活性化させてもくれるだろう

来月80歳になる母は
この頃はいつも「寝るか」それとも「何かやるか」の間で揺れているという
今時80歳で元気なお年寄りはたくさんいるように見えても
わたしは今の自分がすでに老化を感じている事を考えると
80歳の人々は相当体の不調を抱えて暮らしていると思われる
だから、母の言うような状態の人は結構あるんじゃないだろうか
ただ、みんな口をそろえて言うのは
「寝てばかりいたらダメになる、だから何かしないと・・」ということ

母がうちで同居するようになって14年
初めのころはまだ60代だった母に
何かやりがいになることを見つけてほしいと、わたしは願っていた

豆腐を作り、石けんを作り、俳句を作り
編み物をしたり、野菜を作ったり、お菓子やパンも作った
その中で今も続いているのが
石けん(廃油)、野菜、お菓子やパン作りだ
これらが母にとってちょうどいい趣味となり
家族のためにも役立っている

今朝起きると、母は中華まんとピザまんを作っていた
manju2015112.jpg

子どもたちの朝食に間に合うように、前日から生地と中味を作っておき
今朝は早起きして、蒸したてを食べさせる
「やっぱり蒸したては美味しいね~」
その言葉が何よりの励みだ

母はお正月以降パン作りに熱中していて
できれば、ご飯を炊く感覚でパンが焼けるようにと
どうすれば時間を短縮できるか
要領よく作業する方法を毎日考えているようだ

カレーパンの中味のカレーが入れにくいのでいつも難儀するけれど
ネットで調べて、パン粉を混ぜる方法も覚えた
10年以上前に覚えたパソコンで自由に検索し
「みんな色々面白い事を考えてやってるね」と感心しながら
素人なりに熱心に研究している人々に触発されて
自分もまた熱心に考えている

こうして母の場合、色々自分でやってみることで
”失敗を恐れず進む勇気”を学び
”前向きに生きる材料”を得た
今も思考はマイナスになりがちではあるものの
パンのことを一生懸命考えている間は
余計な事を考える暇がない
また、春になれば野菜の方も忙しくなるから
更に気持ちも生き生きするだろう
心が上向くと体調も良くなることは
母の様子を見ているとよくわかるし
体が衰える一方の年代だからこそ、心の管理は重要だと思う

年をとっても、何かできることがある
80年も生きてくれば、振り返る過去の量が多すぎて
辛かったことを恨み、若く元気だった頃をうらやみ・・と
そればかり考えるときりがないから
少しでも前を向く材料を持っているのは幸いだ

心の問題 | 22:43:28 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 2~自分でやってみることの意義
早くから白髪が増え
30過ぎてから白髪染めをするようになったわたしは
ヘナと出会う前は
毛髪の表面に色をつけるだけのヘアマニキュアを使っていた
その後、世の中に茶髪が流行し
一時的にヘアカラーも使ったことはあるのだが
何にしても、どれも自分でやっていたので
髪を染めるために美容院へ行く習慣はない

元はといえば、夫が義母の髪を染めるのを傍で見ていたことから
(時にはカットもやっていた)
こういうのも家でできるんだと知ったわけで
自分でやれば安いし、面白そうだと手を出して
そのうち自分でやるのが当たり前になり現在に至っている

こうして、身近なところに”何でも自分でやってみる人”がいると
「わたしでもできるかも?!」と思う範囲も広がって
振り返れば随分色んなことにチャレンジしてきたものだと思う
だからといって、何かが大成するわけでもなく
(そもそも大成するつもりもなくて)
何でも”そこそこに”やって、適当なレベルで止まっているのを見ると
これが”器用貧乏”というものだろうかと
まあそれもいいんじゃないの~と思ったり、、^^;

そんな”何でも自分でやる派”のわたしも
一度だけ美容院で毛染めをしてもらったことがある
それは、ヘアマニキュアの後、しばらくしてヘアカラーを使ったら
てっぺんだけ茶色になる”逆プリン”状態になった時のことだ
驚いて美容院へ駆け込むと、すぐにこう教えられた
”マニキュアは、髪の表面を覆ってしまうので
マニキュア後は、普通のカラー剤では染料が入らず染まらない”

この時はプロの技できれいにしてもらったが
それぞれの染毛料の違いをちゃんと知っておかないととんでもない事になると
つくづく思い知らされたのだった

わたしはサイトでも発信しているように
日頃から自分で色んな事をやり、色んなものを作っている
その目的は、経済的な理由だったり(これが一番かも)
理想を追っていたり、あるいは単なる好奇心から等、さまざまだけど
何でも自分でやる一番のメリットは
自分が”素人”であることを教えられる所にあるんじゃないかと
最近はつくづく思うのだ

物事は追求すればきりがなく奥が深い
だからちょっとかじっただけで知っているつもりになっても
やればやるほど自分は”何も知らない”のだと分かってくる

世の中には
”やる気になれば(努力すれば)何でもできる”
という考え方が今も多く見られるが
確かに”そこそこ”にはできるようになる事もあるけれど
そう簡単に理想に達するわけじゃない
だから、何かを一生懸命やるたびに
その道のプロは素晴らしいと思うし
結果として、謙虚さを学ぶ機会になると感じている

一方、子どもの時から何でも自分でやるのが当たり前だった夫は
色んな方面でプロ並みの技術を持っているけれど
どこまでが自分の守備範囲で
どこからがプロに任せるべきなのかをよく知っている
だから無茶をしないし
人にも無茶をさせないのが常だ

その辺の線引きが
わたしにもようやくできるようになってきた気がする
何でも自分でやろうとすると
「わたしがやらないと」と強迫観念に駆られてしまうから
この”手放した”感覚が、今は何だか心地いい

**********************

20年来の付き合いになるお花屋さんの作るブーケ
この清楚な雰囲気を作り出すのがプロの技と心意気
bouquet2015109.jpg


心の問題 | 23:11:52 | Trackback(-) | Comments(2)
理想と現実 1~ヘナによる毛染め
白髪がかなり目立ってきたので
いつものように「ヘナ」を使い、2日がかりで毛染めした

わたしがもう10年以上前から日常的に使っている製品はこちら
画像は『ナイアード』のサイトより
hena1.jpg

他にヘナ100パーセントの商品もあるのだが
こちらの方がトリートメント効果が高く使用感が気に入っている
だが、色々入っている分かなりクサイのも確かで
この度は夫に洗面所でヘナを使ったことを言わなかったら
そのニオイが排水管から上がってきていると勘違いし
パイプ掃除をしてくれたらしい、、、^^;

最近はヘナにも色んな商品があって
ニオイをおさえたものや、短時間で染まるものもあるが
短時間で染まるものには化学物質が混ざっているらしいし
わたしとしては上の商品が一番安くて、単純(自然)で
皮膚トラブルなども起きたことがなく
問題のニオイも少し経てばおさまるので
ずっと使い続けているわけだ

ただ、ヘナは髪にも地肌にもいいけれど、とても使いにくい
粉を溶かしてペースト状に練ったものを上手く塗るのもコツがいるし
何より放置時間が2時間以上必要というのが大変だ
そうしてやっと染まった白髪はオレンジ色になるので
わたしのように白髪の割合が多いと
このままではかなり不自然、、
2015108.jpg

というわけで、翌日、もっと色を暗くするために
「ヘナ」に「木藍(もくらん)」をプラスしたものを使って2度染めをする
(注:白髪にいきなりこちらを使うと染まりにくい)
hena2.jpg

こちらは根元のオレンジ色の部分だけに塗って1時間放置
2015108a.jpg

いい感じになった~♪
hena2015108.jpg

手間はかかるけれど
ヘナを使った髪はサラサラになるし
コシがない髪もしっかりして、変なクセもおさまる
これは髪がハリを失いペタンコになりがちなわたしの年代には強い味方だ

一方、化学染毛剤に含まれるジアミンの毒性については随分昔から問題になっており
それが内臓にたまって影響が出るという説もあれば
肝臓の解毒作用、腎臓の濾過作用によって排出されるという説もあるが
わたしの場合は若い頃に化学染毛剤を使って抜け毛が増えたので
(皮膚への刺激も強いし)今はもう使おうとは思わない

でも、今まで園芸関係で色んなモノや情報に出会ってきたから
ヘナ=自然の植物=安全だとは決して思っていないわけで
自然は優しいばかりじゃなくて毒物もたくさんあるのはよく知っている
それでも、リスクを承知の上で毛染めするのは
上の写真でもわかるように
わたしは染めなかったらものすごく白髪が多いから・・
ヘナでオレンジに染まる髪の割合を見るたびに
53歳でこれってかなり多い方じゃないかなあと思うし
まあ60歳になったらもう染めなくていいかなと思っているのだけどね
と言いつつ60過ぎてもがんばるかどうかはその時の気力次第かな?!

あと、ヘナの使い方については
染まりやすくするための注意点も多くて
何より2日で約4時間もかかること思うと(これを一日でやるのもまた大変)
忙しい人々にお勧めしたいとは思わない
それでもやってみようと思う人に対しては
”ヘナを続けるためには完全主義にならないこと”と書いている人があったが
本当にそうだと思う
ヘナを使う際の注意点についても
例えば、ヘナを洗い流す時にはシャンプーをつかっちゃダメというけれど
わたしはすぐ石けんシャンプーで洗わないと頭皮が気持ち悪いし
最初のうちはクエン酸リンスもダメというのも守らず
快適に過ごす方を優先している
それでもちゃんと染まるし、早く色落ちするとも思わないので
こうして自分に合うように”自分流にアレンジ”するのが常だ

現在はヘナ使用者がネットでそれぞれ自分流を公開しており
そこでは
ヘナのもつ理想的な面と、現実問題の間で思考錯誤する様子がうかがえ
とても参考になる

こうして理想と現実をしっかり見て発信していくことは
わたしもずっと心がけてきたことだが
そういう正直な情報こそ一番求められているものじゃないかと思う

心の問題 | 10:35:48 | Trackback(-) | Comments(2)
今日で七日目
新年から一週間連続して投稿したのは始めてことだけど
今年はその日のこととか、思ったことを
日々少しずつでも書いておこうかなと思っている
後でまとめて一つの文章にしようにも
最近はどうも思うようにいかなくて、、、

花かんざし
2015107.jpg


下の写真は11月24日の記事に載せたものだが
花かんざしの苗はこの日に購入している
20141124-4a.jpg

あれから一ヶ月以上たつというのに
なかなか花が咲くところまでいかないなあと思って調べてみたら
この花は、「耐寒性はあまり強くない」と書いてあった
え、、そうだったの?!
ビオラ等と同じ頃に店頭に並ぶものだから
てっきり寒さもOKなのかと思っていたんだけど・・・

他に注意点は
・多肥は好まない
・水はけの確保は絶対必要
・乾燥した水はけのよい土を好む
・高温多湿は苦手
・雨に弱く花も傷みやすい

なるほど、なかなかデリケートな花のようだけど
12月は寒波がきてかなり寒く、雪も降ったにもかかわらず
こうして元気な姿をしているだけでも上出来なのね
「まだ咲かないの?」なんて期待してスミマセン、、

庭つくり2015 | 11:41:25 | Trackback(-) | Comments(0)
六日目は雨
これで昨日埋めた肥料に水分が加わって発酵が始まるだろう

それで、昨日のバラの移植の件は
やはり断念することにした
移植するにはどう考えても大き過ぎるし
枝数も多すぎるし
今の場所で咲かせた方が得策だと思われるから

移植を考えたデンティベスはこちら
rose2015106-2.jpg

4メートルはあろうかと思われる太い枝を曲げて
ハート型に誘引している
rose2015106-1.jpg

移植先はこちらを考えていたのだけど
4メートルという枝の長さは、壁面にはわすことを考えれば魅力ながら
やっぱり今のままでは大きすぎるわ・・
rose2015106-7.jpg

マダム・アルフレッド・キャリエールとコーネリアは
今年も空中でつないでみたが
これらのバラのように
植えられた場所でここまで大きくなるのを待たないと
いきなり大きな株を植えて風景を作ろうというのも無理だよね、、
rose2015106-4.jpg

春を待つバラたち
左端のフェリシアには、今までの間に合わせの支柱をやめて
近いうちにオベリスクを立てる予定だ
rose2015106-5.jpg

反対側でも鉢バラが待機中
rose2015106-6.jpg


バラ2015 | 10:53:11 | Trackback(-) | Comments(8)
五日目はバラのお世話
今日は、油かす・骨粉・バットグアノ・米こうじに
モミガラクンタンとパーライトを少し混ぜて
バラの株元に埋めていった

土壌改良材であるモミガラクンタンとパーライトを混ぜたのは
”通気性がよくなる”ことと
”微生物が住みやすくなる”ことをねらったもの
まあ実際にどのくらい効果があるのかはわからないが
何となく思いついたのでやってみようかと
あと
モミガラクンタンには少しカリ成分も期待して・・

そう、”思いつき”といえば
夕方になっていきなり「バラを移植しよう!!」と思いついた
それは生垣花壇で大きく伸びたツル種のデンティベスなのだが
長い枝は4メートルくらいありそうだし
これを教会正面の壁にはわせたら春にはたくさん花が咲くんじゃないかと♪
そう考えただけですでに脳内はお花畑状態に~~*^^*

いやいや、、ここは冷静になって考えてみよう
そもそも4メートルのまま移植しても大丈夫なのだろうか?
短く切り詰めなければならないのなら
今の場所で豪華に咲いてくれた方がいいよね、、
それに、植え替えたばかりの年には花つきも悪くなる??

うーん、うーん、
ここはカケに出てみるか
それとも大人しくしておくか

・・・まあ今日のところは保留ということで。。

バラ2015 | 22:33:21 | Trackback(-) | Comments(2)
四日目はお客さん
今日は来客があるので
朝から、いなり寿司を60個ほど作った

”袋詰め”するのは娘の仕事
昨年は結構よく作ったので手慣れているが
今回は初めて寿司飯を混ぜるところも教えてみた
inari2015104-4.jpg

中味は、ニンジン・ゴボウ・卵・ミニホタテ
そして、一部はミョウガ入りに・・
inari2015104-3.jpg

なぜ一部かというと
息子が、ミョウガの他にもシソやユズなど”香りもの”全般が苦手なため
inari2015104-1.jpg

母の焼くシフォンケーキは
みんなに人気の抹茶入りにしてもらったけれど
実は息子は抹茶も苦手、、
sifon2015104-1.jpg

そればかりか、コーヒーも紅茶もダメで
普段はもっぱら冬でも麦茶を飲んでいる

だから、よそでコーヒーを勧められるのが一番困るそうだが
出されたものは何でも黙って飲んでいるらしい
味覚は相変わらずお子様だけど
対応はちゃんと大人だ^^;

そんな息子も明日からまた仕事が始まり
わたしも早起き生活に戻る
はぁ~、一度だらけると元に戻るのは大変かも~~@@;

日々の暮らし | 17:42:44 | Trackback(-) | Comments(4)
三日目は晴れ
今朝
息子が「晴天に雪山が映えてるね」というのを聞いて
母が、そのままで俳句になりそうだと感心していた^^
それを聞いて、写真を撮りに出ようかとも思ったが
寒いのでやめておく、、、

それでも今日は久しぶりに外で洗濯物が乾くいい日和になった
明日はさらに気温が上がるようだし
そろそろ昨年同様「寒肥」を施す準備をしようかなあ~
(昨年の記事はこちら

okizarisu2015102.jpg


庭つくり2015 | 23:50:05 | Trackback(-) | Comments(0)
二日目も雪
今日も雪の舞う寒い一日となった
昨日は新年礼拝で、明日はもう安息日礼拝だから
掃除は昨日のうちに娘と済ませて
今日は”何もないお正月”をのんびりと過ごしている

こんな日は、庭のことなど考えていて
年末にとった写真を見ながら水仙のことを思い出した
花がつかなくなった水仙の球根は
昨年秋には掘り上げて鉢植えする予定だったが
実際にそうしたのは半分ほどで
つい後回しにしている間に芽がでてきてしまったのだ
というわけで、今年も花芽は今のところわずか一本、、、

suisen2015102.jpg

葉っぱだけは立派に茂るので
きっと球根はしっかりしているのだろう
今年こそは掘り上げないとね、、

年末に誘引したツル種のデンティベスの枝先には
名残惜しくて切れなかった花が・・
rose2015102-1.jpg

高いところで咲いた花がそのまま実になっていたのも残している
rose2015102-2.jpg

この時期は花が極端に少なくなるので
小さな芝桜の花も貴重
shiba2015102.jpg

昨年一株だけ買ったこの薄紫の芝桜も結構増えたので
春にたくさん咲くのが楽しみだなあ~♪

庭つくり2015 | 15:53:20 | Trackback(-) | Comments(6)
Happy New Year ! 2015
20150101-1.jpg

**********************

新年明けましておめでとうございます
旧年中は当ブログにご訪問いただきまして有難うございました
今年もどうぞよろしくお願い致します

**********************


20150101-3.jpg

<追記>

今朝起きると雪が積もり、時折かなり吹雪いていたので
「え~?!新年礼拝にみんな来れるのかなあ??」と心配しつつ
息子と駐車場の雪かきをした
さいわい雪はベチャベチャして凍りついていないため
除雪はスムースに進んだが
コンクリートの上にシャーベット状の雪が残っていると危ないと思い
何度もお湯の入ったバケツを運んでとかす作業を続ける
その時には自分も転ばないように慎重に慎重に・・・
なにしろ2週間前に降った時の雪かきでは
ひどく凍りついているのにサンダルばきでバケツをもって出て
勢いよくひっくり返り、後頭部(ほとんど頭頂部)を強打し
一緒に作業していた夫を心配させたばかりだ
もはやわたしの反射神経などとても信用ならない(泣)
というか、そもそも自分が上手く危険をかわせると過信していたわけで
「もう年なんだから」と息子からも言われるし
娘からは「お母さんは最近食事中によくむせるよね」と指摘されるし
お餅をのどに詰まらせる事故のニュースも
今年は他人事ではないように感じているところだ

先日も新聞で追突事故のニュースを読んだ息子が
「急ブレーキを踏めない人はすごく多いんだけど
そういう人でもどういうわけか車間距離はとらないんだよね」と言っていた
最近の教習では急ブレーキを踏ませる項目があるそうで
かなりの人が、急ブレーキを”怖くて”踏めないのだそうだ
それなのに、車間距離をとらなくても自分は止まれると思っている、、
あ~何かこの勘違いした過信は、わたしも思い当たることがあるなあ~~

というわけで
今年はとりあえず「慎重に」「落ち着いて」
みんなに心配をかけないように行動するのが目標かな?!

日々の暮らし | 00:30:00 | Trackback(-) | Comments(0)
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kimi

  • author: kimi
  • バラの咲く教会を夢見てから
    15年がたちました
    今も理想と現実の間で
    日々奮闘中です
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