FC2ブログ
教育
今日、志音がひとりで立ち上ったと母が言うのだが
わたしはまだ見ていない
でも、つかまり立ちから手を離して立っている姿は時々見るので
「ひとり立ち」の現場を見る日も近いだろう

それで、以前リビングのフローリングには
クッションのきいた材質のジョイントマットを一部に敷いていたのを
今は全面に敷いている
これなら転んでも安全だし
また、ここは式典の時には控室としても使う場所なので
床が傷だらけになるのも防止したい
shion20170218-1.jpg

志音はここのソファにも今は自分で上り下りできるようになり
こうしてゴロゴロしながら遊んでいるが
shion20170218-2.jpg

ここから積み木やら色々投げては遊び
それを大人が取ってくるのが習慣になっているので
最近は「自分で取って来なさい」と言うことも多い
すると、最初は「んーんー!(取ってぇ~の意)」とねだるが
ダメだと分かると
shion20170218-3.jpg

こんな顔になる^^;
shion20170218-4.jpg

そしてあきらめ顔になって
shion20170218-4a.jpg

自分で降りる
shion20170218-45.jpg

まだ自分で何もできない時代には、人に全部やってもらっていたことも
できるようになったら、自分でやらなくてはいけないんだよ
大人は子どもを愛しいと思い、精一杯大切にするけれど
大人にも体力や時間などの都合(限界)があってね
それがわからないままで
すべてが自分の思い通りになるのが当たり前と思うのは
「わがまま」って言うんだよ
そしてその「わがまま」で一番困るのは自分なんだ・・・と
まだ言葉は通じなくても
その思いは伝わっていくように思う

志音の教育については
両親が責任を持って行うことだけど
月~金の一日10時間はわたしがあずかっているので
ただ可愛いばかりで甘やかす無責任なことはできない

特に、わたしが生れた頃は
まだ男の子が特別大事にされた時代で
その弊害の実例も随分見聞きしてきた
一度わがままに育ってしまうと
自分は特別な存在だと勘違いした大人になって
「配慮」とか「思いやり」といった心が育たない
また、自分がどれほど助けられてきたかという実感もないので
「感謝」という感覚も理解できない
これを総じて「愛が分からない」と言うのだろう

一方、あまりに厳しく育てると
自分はダメなんだ・・・と、自信のない大人になってしまう
こちらは「愛に飢えている」状態なので
周りに気をつかいすぎ、自分を犠牲にするようになる、、、

このどちらにも偏らないようにと
自分の子どもたちを育てた時代にも意識していたけれど
こうして今も「愛のある教育」について日々考えさせられるのは
わたしにとっても大事なことなんだろうと思う

スポンサーサイト
志音 | 23:21:18 | Trackback(-) | Comments(0)
PROFILE

kimi

  • author: kimi
  • バラの咲く教会を夢見てから
    15年がたちました
    今も理想と現実の間で
    日々奮闘中です
  • RSS
Calender
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
01月 « 2017/02 » 03月
Recent Comments
Recent Trackbacks
Archives
Search
Search this site.